2023年10月19日
10月18日(水) 峠下台場山(旧・国道から)
国道5号線「大沼トンネル」のすぐ東に位置する峠下台場山(345m)を、会山行として4年ぶりに訪れた。今回は自然部企画として、旧・国道5号線、通称「大沼旧道」から入山した。会山行では初のコースで、参加は17名。
国道5号線「大沼トンネル」の600mほど函館寄り(127.6m水準点付近)から「大沼旧道」に500m余り入ったC170付近に縦列駐車。コース説明と人数確認を終えて、9時15分に出発する。
通称「大沼旧道」は、明治5年に無沢峠が開削されて札幌本道として開通してから、昭和39年の大沼トンネルが開通するまで、国道5号線だった道路。明治天皇や「日本奥地紀行」を著した旅行家のイザベラ・バードも、この道を通ったという。

辿るコースは昔、七飯から峠を越えて小沼・大沼方面に向かう馬車や小型バスが通る道路だったと聞く。今は造林作業用に、やや広く刈り払われている。泥濘になった所に、親子羆のものと思われる足跡が残っていた(上は親、下が子か)。


柔らかい秋の陽射しを浴び、緩い傾斜でのんびり登っていく。あたりは、まだ緑色が支配している。

「大沼トンネル」の真上辺りで、かつての馬車・小型バス道を左に分け、標高点265のピークなどがある尾根通しに進む。立ち枯れた樹幹には、サルノコシカケとクマゲラなどの食痕が。

山野草も、そろそろ花期を終える。[左上]モミジガサ(紅葉笠)、[右上]ノコンギク(野紺菊)、[左下]サワアザミ(沢薊)、[右下]アキノキリンソウ(秋の麒麟草)。

他の植生は、[左上]イネ科のチジミザサ(縮み笹)は、縮んだようなしわがある、[右上]チジミザサの花軸、[左下]秋の恵み・マタタビ(木天蓼)の実、[右下]スギタケ(杉茸)は、時として腹痛や下痢を伴う中毒をおこすことがあるという。

山道の脇で見かけた、エゾシカの寝床。

C245コルを過ぎて、緩く登っていく。

特徴あるミズナラ(水楢)老木の脇で休憩。この後は左に折れて、笹藪道に入る。

笹薮は、背丈を超える高さがあった。後続メンバーに進路を示す意味と、銃猟立入禁止区域の境界線なのでハンターに人間の存在を示す意味で、ピンクテープ(写真の矢印)を付けた笹竹を掲げながら進んだ。

あちらこちらに散弾銃の薬きょうが落ちていた(ゴミとして回収)。

C255コルで綺麗に刈り払われた山道に合流し、台場頂上に向かって標高差90mを登る。

山道の脇に、ブナ(橅)の大樹があった。一本の木にも、二本が合わさったようにも見える。

頂上直下の尾根道は、明るい広葉樹林帯。

10時43分(出発から約1時間半)、頂上の台場に到着。箱館戦争時の明治元年(1868年)、五稜郭を占拠した旧幕府軍がフランス人士官ブリューネの指導のもと、11月に短期間で造成したといわれ、七稜の星形を呈している。台場の縁に土塁が築かれているため、頂部は窪地になっている。

星形七稜のうち、北西方向(西大沼・森方面)の稜。

砲台を据えるために造成したと考えられるスロープ。

こちらは北東方向(砂原・鹿部方面)の稜。

頂上標識を囲んで、恒例の全体集合写真に納まる。今回も「パー」のポーズで決まり。

南東方向の稜から、東隣りの363.4峰(二等三角点、点名:古峠)方向のC315コルに下がる。コース入り口で見かけたヤドリギ(宿り木)は、酒蔵などの軒先に吊るされる杉玉のよう。

このコースは北登会の皆さんによって、綺麗に刈り払われていた(感謝!)。

コース途中の左手、樹木の間から北海道駒ヶ岳の頂部が見えた。まだ冠雪していなかった。左は剣ヶ峯(1131m)、右の中央は砂原岳(1112.2m)。

C315コル付近で見かけたミズナラ(水楢)の大木。右の太い幹から左上に伸びた枝と、左の幹が癒着している。また、左の幹に包まれた古い幹には、大きなサルノコシカケが。

C290付近のコース脇に、北海道森林管理局による国有林案内板があった。今回辿った周回コースを、赤い矢印で載せてみた。

C240付近で七飯林道に降り立って休憩。右の樹木に「台場山 歩道入り口 400m」と書かれた標識が取り付けられている。

ホオノキ(朴の木)の落ち葉に覆われた林道を、西方向に進んでいく。

樹木の隙間から函館山が見えたが、写真なし。青空に綺麗な飛行機雲。長く残るときは、上空の大気が湿っているので、天気が崩れる前兆。

林道を600mほど進んだ四差路で、ランチタイムとする(30分間)。左(南東方向)に下がっていくと、道の駅「なないろななえ」横の交差点から北に向かう道路の終点(標高点173)に至る。

四差路から北の山道に上がり、往路に採った笹藪道などを経由して車に戻る。「大沼トンネル」の真上付近で見かけた、営林作業で使用されたらしい古い標識。

13時5分、車列を停めた「大沼旧道」に到着。所要時間は、ランチタイムを除いて3時間30分ほどであった。

人数を確認し、挨拶を終えて、現地で解散した。紅葉にはまだ早かったが、秋らしく穏やかな中、自然観察と歴史探訪で充実した時間を過ごすことができた。
前回の2019年10月6日、小沼の南端から訪れた際の記録はこちらをご覧ください(台場見取り図の写真あり)。
国道5号線「大沼トンネル」の600mほど函館寄り(127.6m水準点付近)から「大沼旧道」に500m余り入ったC170付近に縦列駐車。コース説明と人数確認を終えて、9時15分に出発する。
通称「大沼旧道」は、明治5年に無沢峠が開削されて札幌本道として開通してから、昭和39年の大沼トンネルが開通するまで、国道5号線だった道路。明治天皇や「日本奥地紀行」を著した旅行家のイザベラ・バードも、この道を通ったという。

辿るコースは昔、七飯から峠を越えて小沼・大沼方面に向かう馬車や小型バスが通る道路だったと聞く。今は造林作業用に、やや広く刈り払われている。泥濘になった所に、親子羆のものと思われる足跡が残っていた(上は親、下が子か)。


柔らかい秋の陽射しを浴び、緩い傾斜でのんびり登っていく。あたりは、まだ緑色が支配している。

「大沼トンネル」の真上辺りで、かつての馬車・小型バス道を左に分け、標高点265のピークなどがある尾根通しに進む。立ち枯れた樹幹には、サルノコシカケとクマゲラなどの食痕が。

山野草も、そろそろ花期を終える。[左上]モミジガサ(紅葉笠)、[右上]ノコンギク(野紺菊)、[左下]サワアザミ(沢薊)、[右下]アキノキリンソウ(秋の麒麟草)。

他の植生は、[左上]イネ科のチジミザサ(縮み笹)は、縮んだようなしわがある、[右上]チジミザサの花軸、[左下]秋の恵み・マタタビ(木天蓼)の実、[右下]スギタケ(杉茸)は、時として腹痛や下痢を伴う中毒をおこすことがあるという。

山道の脇で見かけた、エゾシカの寝床。

C245コルを過ぎて、緩く登っていく。

特徴あるミズナラ(水楢)老木の脇で休憩。この後は左に折れて、笹藪道に入る。

笹薮は、背丈を超える高さがあった。後続メンバーに進路を示す意味と、銃猟立入禁止区域の境界線なのでハンターに人間の存在を示す意味で、ピンクテープ(写真の矢印)を付けた笹竹を掲げながら進んだ。

あちらこちらに散弾銃の薬きょうが落ちていた(ゴミとして回収)。

C255コルで綺麗に刈り払われた山道に合流し、台場頂上に向かって標高差90mを登る。

山道の脇に、ブナ(橅)の大樹があった。一本の木にも、二本が合わさったようにも見える。

頂上直下の尾根道は、明るい広葉樹林帯。

10時43分(出発から約1時間半)、頂上の台場に到着。箱館戦争時の明治元年(1868年)、五稜郭を占拠した旧幕府軍がフランス人士官ブリューネの指導のもと、11月に短期間で造成したといわれ、七稜の星形を呈している。台場の縁に土塁が築かれているため、頂部は窪地になっている。

星形七稜のうち、北西方向(西大沼・森方面)の稜。

砲台を据えるために造成したと考えられるスロープ。

こちらは北東方向(砂原・鹿部方面)の稜。

頂上標識を囲んで、恒例の全体集合写真に納まる。今回も「パー」のポーズで決まり。

南東方向の稜から、東隣りの363.4峰(二等三角点、点名:古峠)方向のC315コルに下がる。コース入り口で見かけたヤドリギ(宿り木)は、酒蔵などの軒先に吊るされる杉玉のよう。

このコースは北登会の皆さんによって、綺麗に刈り払われていた(感謝!)。

コース途中の左手、樹木の間から北海道駒ヶ岳の頂部が見えた。まだ冠雪していなかった。左は剣ヶ峯(1131m)、右の中央は砂原岳(1112.2m)。

C315コル付近で見かけたミズナラ(水楢)の大木。右の太い幹から左上に伸びた枝と、左の幹が癒着している。また、左の幹に包まれた古い幹には、大きなサルノコシカケが。

C290付近のコース脇に、北海道森林管理局による国有林案内板があった。今回辿った周回コースを、赤い矢印で載せてみた。

C240付近で七飯林道に降り立って休憩。右の樹木に「台場山 歩道入り口 400m」と書かれた標識が取り付けられている。

ホオノキ(朴の木)の落ち葉に覆われた林道を、西方向に進んでいく。

樹木の隙間から函館山が見えたが、写真なし。青空に綺麗な飛行機雲。長く残るときは、上空の大気が湿っているので、天気が崩れる前兆。

林道を600mほど進んだ四差路で、ランチタイムとする(30分間)。左(南東方向)に下がっていくと、道の駅「なないろななえ」横の交差点から北に向かう道路の終点(標高点173)に至る。

四差路から北の山道に上がり、往路に採った笹藪道などを経由して車に戻る。「大沼トンネル」の真上付近で見かけた、営林作業で使用されたらしい古い標識。

13時5分、車列を停めた「大沼旧道」に到着。所要時間は、ランチタイムを除いて3時間30分ほどであった。

人数を確認し、挨拶を終えて、現地で解散した。紅葉にはまだ早かったが、秋らしく穏やかな中、自然観察と歴史探訪で充実した時間を過ごすことができた。
前回の2019年10月6日、小沼の南端から訪れた際の記録はこちらをご覧ください(台場見取り図の写真あり)。