2020年12月22日
12月20日(日) 庄司山(納会)
日本列島に超一級の寒気が流れ込んだ影響で、12月14日頃から函館市内でも降雪と低温、風のやや強い日が続いていた。前日の段階で、この日は寒気が少し緩む予想なので、日中は青空も覗くだろうと期待して、当クラブ恒例の庄司山(570.3m)納会山行を実施した。
ところが当日は、予想以上に青空と日照に恵まれて風も弱く、絶好の納会日和となった。参加は25名。
函館市桔梗町~亀田中野町の開拓地農道で、C195あたりから除雪されていない道に乗り入れて、C240の農道終点に駐車した。ここの積雪は15~20cm。函館山を望みながら、出発の準備をする。

会長の挨拶があって、9時40分に出発。蒜沢川左岸の通称「送電線コース」(「桔梗尾根コース」とも)を往復する。三角お握りが二個並んだような形の庄司山を正面に見ながら、今冬初めてスノーシューやかんじきを装着して進む(一部のメンバーは壷足)。

樹林帯を緩く登っていく。庄司山が近づいてきた。

出発から約40分で七飯町からの「蒜沢コース(蒜沢砂防ダムの下を渡る)」との三叉路(C330)に到着し、しばし休憩を取る。

この付近に「亀田村」標柱がある。1962年1月に町制施行で「亀田町」になるまで村として存在した。

このあと、つづら折れの登りに掛かる。AtさんとMkさんがこの先まで先頭に立ってラッセルしてくれた。

登山道の脇に、オヤマボクチ(雄山火口)のドライフラワー。

この先も積雪はあまり深くないが、先頭のラッセルを交替しながら登る。

C500で尾根の平坦部(2枚目の写真で本峰の右下に見える三角の頭)に出ると、東側斜面の樹木は一様に雪の綿帽子を被っていた。

頂上に向かう登山道の左側(西側斜面)の樹木に、綿帽子は付いていない。強い西風とやや湿った雪の成せる技か。

サルノコシカケのような綿帽子も。

C530付近の最後の登り。ここも左右で雪の付き方が異なる。後方には函館山と函館市街地、津軽海峡の景観が広がる。


11時25分、頂上に到着。しばらく展望を楽しむ。津軽海峡を背景にした函館山をズームで。
![頂上から函館山[ズーム] 頂上から函館山[ズーム]](//img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201220-N%E5%BA%84%E5%8F%B8%E5%B1%B1k%E9%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E5%87%BD%E9%A4%A8%E5%B1%B1%5B%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%A0%5Dk.jpg)
同じく湯川温泉のホテル街。
![頂上から湯川温泉街[ズーム] 頂上から湯川温泉街[ズーム]](//img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201220-O%E5%BA%84%E5%8F%B8%E5%B1%B1k%E9%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B9%AF%E5%B7%9D%E6%B8%A9%E6%B3%89%E8%A1%97%5B%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%A0%5Dk.jpg)
津軽海峡の上を、積雲が列を成して左へ流れていく。やや左の遠景は下北半島。

南東方向。雁皮山の南峰(743.3m、三等三角点「岩被山」)と立ち木の蔭に北峰(747m)、足元には結氷した新中野ダム湖。

頂上の三吉(みよし)神社前で全体集合写真を撮る。新しい山名標識が掛けられていた。


鳥居の奥に三吉神社の祠。無病息災を祈念した1.6mの「煙管(現在は分断)」と足の健康を祈念した30文(約70cm)の「鉄の草鞋」が奉納されている。


最近数年は頂上の三吉神社の前で参加メンバーが材料を持ち寄ってかぼちゃ入り汁粉を作り、アツアツをいただくのが大きな楽しみだったが、今年は新型コロナウイルス感染を警戒して汁粉作りは止めた。その代わり、23年前(1997年)の当クラブ創設時、当時から会員だったYhさんから、納会で庄司山を登るようになった経緯を紹介していただいた。
「当時、庄司山(地元ではオニギリ山と呼んでいた)には上まで登る登山道があって、頂上に『サンキチ神社(正しくはミヨシ神社)』があることを知った。ここには秋田市内に鎮座する山岳信仰の三吉神社総本宮(郊外の太平山頂上[1,170.4m]に奥宮あり)の守護神である三吉霊神(みよしのおおかみ=力、勝負、破邪顕正を司る神)が祀られており、昔、戦争に行った息子さんの安息を祈念した母親が、息災であるようにと煙管を、怪我なく歩けるようにと鉄の草鞋を祀ったとの由であった。これを聞いて、Yhさんと前会長Msさんが試行錯誤で登山道を探し、新中野ダム方面から登頂。以来、健康健脚で山を歩けるようにと、当クラブの納会を、この山で行っている。」とのことであった。
頂上から、北尾根の先にある大岩の祠を訪問した。

「不動明王」の扉を開けて参拝。

12時25分、下山にかかる。途中のつづら折れでは、樹林の間から函館山を見ながら下っていく。

13時20分、農道終点付近(C240)に到着して下山を終了。会長から「今年の山行も無事に終了することができた」との挨拶があった。
帰路の広域農道から函館山(334m)。

同じく、庄司山(右、570.3m)、袴腰岳(中、1,108.4m)、烏帽子岳(左、1,078m)。

今年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延により、月例会や会山行が大きな影響を受けた。感染されない意識だけでなく、「自分は無症状だが、感染しているかも知れない」という意識を持ち、山行中も自分のために、他の人のために、うつさない、うつらない行動に心掛けた年であった。
来年もCOVID-19が一気に収束するとは思えず、当面はこれまでの山行形態を維持することになるでしょうが、山で新鮮な空気と展望を心身に受ける喜びをかみしめましょう。皆さん、一層ご自愛ください。
昨年の庄司山納会の模様はこちらをどうぞ。
ところが当日は、予想以上に青空と日照に恵まれて風も弱く、絶好の納会日和となった。参加は25名。
函館市桔梗町~亀田中野町の開拓地農道で、C195あたりから除雪されていない道に乗り入れて、C240の農道終点に駐車した。ここの積雪は15~20cm。函館山を望みながら、出発の準備をする。

会長の挨拶があって、9時40分に出発。蒜沢川左岸の通称「送電線コース」(「桔梗尾根コース」とも)を往復する。三角お握りが二個並んだような形の庄司山を正面に見ながら、今冬初めてスノーシューやかんじきを装着して進む(一部のメンバーは壷足)。

樹林帯を緩く登っていく。庄司山が近づいてきた。

出発から約40分で七飯町からの「蒜沢コース(蒜沢砂防ダムの下を渡る)」との三叉路(C330)に到着し、しばし休憩を取る。

この付近に「亀田村」標柱がある。1962年1月に町制施行で「亀田町」になるまで村として存在した。

このあと、つづら折れの登りに掛かる。AtさんとMkさんがこの先まで先頭に立ってラッセルしてくれた。

登山道の脇に、オヤマボクチ(雄山火口)のドライフラワー。

この先も積雪はあまり深くないが、先頭のラッセルを交替しながら登る。

C500で尾根の平坦部(2枚目の写真で本峰の右下に見える三角の頭)に出ると、東側斜面の樹木は一様に雪の綿帽子を被っていた。

頂上に向かう登山道の左側(西側斜面)の樹木に、綿帽子は付いていない。強い西風とやや湿った雪の成せる技か。

サルノコシカケのような綿帽子も。

C530付近の最後の登り。ここも左右で雪の付き方が異なる。後方には函館山と函館市街地、津軽海峡の景観が広がる。


11時25分、頂上に到着。しばらく展望を楽しむ。津軽海峡を背景にした函館山をズームで。
![頂上から函館山[ズーム] 頂上から函館山[ズーム]](http://img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201220-N%E5%BA%84%E5%8F%B8%E5%B1%B1k%E9%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E5%87%BD%E9%A4%A8%E5%B1%B1%5B%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%A0%5Dk.jpg)
同じく湯川温泉のホテル街。
![頂上から湯川温泉街[ズーム] 頂上から湯川温泉街[ズーム]](http://img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201220-O%E5%BA%84%E5%8F%B8%E5%B1%B1k%E9%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B9%AF%E5%B7%9D%E6%B8%A9%E6%B3%89%E8%A1%97%5B%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%A0%5Dk.jpg)
津軽海峡の上を、積雲が列を成して左へ流れていく。やや左の遠景は下北半島。

南東方向。雁皮山の南峰(743.3m、三等三角点「岩被山」)と立ち木の蔭に北峰(747m)、足元には結氷した新中野ダム湖。

頂上の三吉(みよし)神社前で全体集合写真を撮る。新しい山名標識が掛けられていた。


鳥居の奥に三吉神社の祠。無病息災を祈念した1.6mの「煙管(現在は分断)」と足の健康を祈念した30文(約70cm)の「鉄の草鞋」が奉納されている。


最近数年は頂上の三吉神社の前で参加メンバーが材料を持ち寄ってかぼちゃ入り汁粉を作り、アツアツをいただくのが大きな楽しみだったが、今年は新型コロナウイルス感染を警戒して汁粉作りは止めた。その代わり、23年前(1997年)の当クラブ創設時、当時から会員だったYhさんから、納会で庄司山を登るようになった経緯を紹介していただいた。
「当時、庄司山(地元ではオニギリ山と呼んでいた)には上まで登る登山道があって、頂上に『サンキチ神社(正しくはミヨシ神社)』があることを知った。ここには秋田市内に鎮座する山岳信仰の三吉神社総本宮(郊外の太平山頂上[1,170.4m]に奥宮あり)の守護神である三吉霊神(みよしのおおかみ=力、勝負、破邪顕正を司る神)が祀られており、昔、戦争に行った息子さんの安息を祈念した母親が、息災であるようにと煙管を、怪我なく歩けるようにと鉄の草鞋を祀ったとの由であった。これを聞いて、Yhさんと前会長Msさんが試行錯誤で登山道を探し、新中野ダム方面から登頂。以来、健康健脚で山を歩けるようにと、当クラブの納会を、この山で行っている。」とのことであった。
頂上から、北尾根の先にある大岩の祠を訪問した。

「不動明王」の扉を開けて参拝。

12時25分、下山にかかる。途中のつづら折れでは、樹林の間から函館山を見ながら下っていく。

13時20分、農道終点付近(C240)に到着して下山を終了。会長から「今年の山行も無事に終了することができた」との挨拶があった。
帰路の広域農道から函館山(334m)。

同じく、庄司山(右、570.3m)、袴腰岳(中、1,108.4m)、烏帽子岳(左、1,078m)。

今年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延により、月例会や会山行が大きな影響を受けた。感染されない意識だけでなく、「自分は無症状だが、感染しているかも知れない」という意識を持ち、山行中も自分のために、他の人のために、うつさない、うつらない行動に心掛けた年であった。
来年もCOVID-19が一気に収束するとは思えず、当面はこれまでの山行形態を維持することになるでしょうが、山で新鮮な空気と展望を心身に受ける喜びをかみしめましょう。皆さん、一層ご自愛ください。
昨年の庄司山納会の模様はこちらをどうぞ。
2020年12月14日
12月13日(日) 七飯岳
12月中旬の定番となった七飯岳(779.2m)だが、年によって積雪量も随分と違う。昨年は上部で思わぬラッセルを強いられた(その時の模様はこちら)が、今年は深い所でも7~8cm程度で楽だった。
コースはいつもの通り、往路は通称「ライオン岩」を登り、復路は真っ直ぐ牧場へ下りた。参加は24名。
城岱スカイライン冬期ゲートの手前を8時5分に出発。植林帯の林道を上がっていく。

500m余り進んで衣服調整の時間を取り、右側の尾根に上がる登山道に取り付く。

尾根上を登っていくが、右側は採石場で崩落の危険があるため、尾根の一部では左側を巻いていく。

樹林帯を一旦抜けると、七飯岳の頂上が見えてくる。


冬枯れの尾根を進む。雪はほんの少し残っている程度。

C400からC460にかけてやや急な傾斜を上がり、再び樹林帯に入る。

C450付近で、オヤマボクチ(雄山火口)のドライフラワーを発見。足元に採石場が見える。


樹林帯を登って、上部の城岱牧場の放牧地に上がる。ここは積雪が多いと雪庇が発達する箇所だが、雪はほとんど付いていない。

上がりついた放牧地で休憩。頂上方面も雪が少ない。

頂上の手前から右側(東側)に向かって、C650~C690を緩く登る旧い林道に入り、通称「ライオン岩」に向かう。

旧い林道のすぐ上にあった岩塔。多分「ライオン岩」と同じ岩質だと思われるが、「ブラタモリ」のようには答えが出ない。

雪が降り始めた中、「ライオン岩」の基部に到着。これから岩の間のルンゼを登る。

順番にゆっくりとルンゼを登る。所々でベテランがサポート。



「ライオン岩」を登り切った平坦な尾根のマイクロ波反射板跡地で休憩。このあと、初めて頂上を踏む2名を先頭に、270mほど進む。

10時55分、頂上に到着。雪で視界があまり効かない中で、全体集合写真を撮る。風もやや強いため、行動食を口にして、11時5分には下山にかかった。


頂上の下に広がる放牧地に向かって下る。

C450付近の樹林帯で、風を避けてランチタイムとする(25分間)。もうすぐ雪に覆われるのに、頭を出したフキノトウの運命や如何に。

C350付近の尾根から俯瞰した大野平野は降雪でかすみ、北海道新幹線「新函館北斗駅」も見えない。

うっすらと雪が積もった尾根を下っていく。

12時55分、城岱スカイライン冬期ゲートの手前に到着して下山を終了。登り2時間45分、下り1時間25分だった。簡単に挨拶を済ませ、12月20日予定の納会山行での元気な再会を期して解散した。
コースはいつもの通り、往路は通称「ライオン岩」を登り、復路は真っ直ぐ牧場へ下りた。参加は24名。
城岱スカイライン冬期ゲートの手前を8時5分に出発。植林帯の林道を上がっていく。

500m余り進んで衣服調整の時間を取り、右側の尾根に上がる登山道に取り付く。

尾根上を登っていくが、右側は採石場で崩落の危険があるため、尾根の一部では左側を巻いていく。

樹林帯を一旦抜けると、七飯岳の頂上が見えてくる。


冬枯れの尾根を進む。雪はほんの少し残っている程度。

C400からC460にかけてやや急な傾斜を上がり、再び樹林帯に入る。

C450付近で、オヤマボクチ(雄山火口)のドライフラワーを発見。足元に採石場が見える。


樹林帯を登って、上部の城岱牧場の放牧地に上がる。ここは積雪が多いと雪庇が発達する箇所だが、雪はほとんど付いていない。

上がりついた放牧地で休憩。頂上方面も雪が少ない。

頂上の手前から右側(東側)に向かって、C650~C690を緩く登る旧い林道に入り、通称「ライオン岩」に向かう。

旧い林道のすぐ上にあった岩塔。多分「ライオン岩」と同じ岩質だと思われるが、「ブラタモリ」のようには答えが出ない。

雪が降り始めた中、「ライオン岩」の基部に到着。これから岩の間のルンゼを登る。

順番にゆっくりとルンゼを登る。所々でベテランがサポート。



「ライオン岩」を登り切った平坦な尾根のマイクロ波反射板跡地で休憩。このあと、初めて頂上を踏む2名を先頭に、270mほど進む。

10時55分、頂上に到着。雪で視界があまり効かない中で、全体集合写真を撮る。風もやや強いため、行動食を口にして、11時5分には下山にかかった。


頂上の下に広がる放牧地に向かって下る。

C450付近の樹林帯で、風を避けてランチタイムとする(25分間)。もうすぐ雪に覆われるのに、頭を出したフキノトウの運命や如何に。

C350付近の尾根から俯瞰した大野平野は降雪でかすみ、北海道新幹線「新函館北斗駅」も見えない。

うっすらと雪が積もった尾根を下っていく。

12時55分、城岱スカイライン冬期ゲートの手前に到着して下山を終了。登り2時間45分、下り1時間25分だった。簡単に挨拶を済ませ、12月20日予定の納会山行での元気な再会を期して解散した。
2020年12月12日
12月9日(水) バードウオッチング@砂原・鹿部
12月の自然部企画は、恒例のバードウオッチング。今回はコロナ禍のもとで遠出を避け、近郊の森町(旧砂原町)と鹿部町の海岸で海鳥などを観察した。曇り空ながら風が弱く、見通しも効いて、まずまずの観察日和であった。参加は23名。
最初に、森町(旧砂原町)の砂崎灯台を訪問した。この場所は、北海道でも稀にしか見られない希少種「シロハヤブサ」の飛来地として有名である。入口の舗装道路で、雲間から薄明光線(光芒、一般に「天使の梯子」)が見えた。

車を乗り入れた砂地の駐車場から振り向くと、四合目辺りまで冠雪した砂原岳(1,112.2m、駒ヶ岳の一座)の姿が見事だった。右端のコブは西円山(544m)。

葦原の向こうに、紅白縞が可愛らしい砂崎灯台。

小さな砂丘上の組木にトビが2羽。

砂崎灯台に向かって砂浜を進む。三脚を付けた本格的なフィールドスコープを用意したメンバーのほか、多数が双眼鏡を用意してきた。

西風が卓越する砂浜にできた風紋。前方の砂原岳は、ほぼ南の方角に当たるので、強い風は写真の右から左に吹く(枯れ草も左に傾いている)。

灯台近くの砂浜を歩くSさん。内浦湾の対岸は室蘭・伊達方面。

室蘭のチキウ岬をズーム撮影すると、突端岩壁の基部が下方に投影して、えぐれたように見えた。手前の船も、背高になっている。軽い蜃気楼現象のなせる業。

それから20分後、蜃気楼現象が発達して、伊達方面の海岸家並が鏡のように下方倒立して見えてきた。下方(ここでは海)が暖かく、上方(海面上の空気)が冷たいときに発現する「下位蜃気楼」で、暖かい日に舗装道路で目にする「逃げ水現象」もこのタイプ。右の山は鷲別岳(911.1m、別名:室蘭岳)。

砂崎灯台付近からは、駒ヶ岳山腹に位置する寄生火山状の西円山と東円山を同時に眺めることができる。南東方向に、亀田半島の主だった山も望めた。

砂崎灯台で、砂原岳を背景に全体写真を撮る。

灯台付近にあった、ハナマスの名残りの実。

帰路、先ほど2羽のトビが留まっていた組木では、4羽に増えていた。

鹿部町の出来澗(できま)海岸に移動。火山堆積物で構成された高さ15mほどの断崖や大きな岩に、ヒメウがコロニーを作っていた。左側の断崖に、ヒメウの団地。

ヒメウは、コロニーからいくつかの編隊に分かれ、沖合へ食餌に出かけていった。

この場所からは、砂原岳がゴリラや犬、たてがみをなびかせたライオンの横顔に見える。

出来澗漁港に移動したが、海鳥は1羽しか確認できず空振り。南防波堤から駒ヶ岳三座を望む。右から砂原岳(1,112.2m)、剣ヶ峯(1,131m)、隅田盛(892.2m)。左の建物は、ロイヤルホテルみなみ北海道鹿部。

出来澗海岸には、火山噴火時の岩屑(がんせつ)雪崩や降下軽石による地層の縞模様が認められる。下部は1640年(江戸時代初期の寛永17年)の岩屑雪崩と泥流、1694年と1856年の大噴火を経て、上部は1929年(昭和4年)の降下軽石による。1640年の岩屑雪崩では、海岸に押し出した岩屑雪崩によって津波が発生し、内浦湾沿岸で和人やアイヌの700人ほどが犠牲になったという。

続いて、鹿部町第2の漁港である本別漁港に移動。港内ではカモ類(手前)とカモメのミナサン(奥)が出迎えてくれた。この場所で、オオバン、カイツブリ、キンクロハジロ、シノリガモ、ヒドリガモ、カモメが観察された。

キンクロハジロの御一行様。

「俺はキンクロハジロだぞ!」というような風貌。

ヒドリガモかな?

カモメのミナサン。

キンクロハジロとカモメ。

オオバンのお出ましだぁ~。

鹿部町から「大沼国際セミナーハウス」に向かう途中、道道43号線から仰いだ剣ヶ峯と隅田盛。

大沼公園の「大沼国際セミナーハウス」のロビーを借用して、ランチタイムとした。暖房が効いて快適で感謝!大沼に流れ込む宿野辺川の河口や大沼・小沼連絡路のセバットには、鳥類が集結していなかったため、ここで解散・お開きとした。
今回のバードウオッチングは、かつての八雲町企画のようにオオワシやオジロワシなどは視認できなかったが、種類こそ少なかったものの多くの鳥類を近距離で観察することができた。
最初に、森町(旧砂原町)の砂崎灯台を訪問した。この場所は、北海道でも稀にしか見られない希少種「シロハヤブサ」の飛来地として有名である。入口の舗装道路で、雲間から薄明光線(光芒、一般に「天使の梯子」)が見えた。

車を乗り入れた砂地の駐車場から振り向くと、四合目辺りまで冠雪した砂原岳(1,112.2m、駒ヶ岳の一座)の姿が見事だった。右端のコブは西円山(544m)。

葦原の向こうに、紅白縞が可愛らしい砂崎灯台。

小さな砂丘上の組木にトビが2羽。

砂崎灯台に向かって砂浜を進む。三脚を付けた本格的なフィールドスコープを用意したメンバーのほか、多数が双眼鏡を用意してきた。

西風が卓越する砂浜にできた風紋。前方の砂原岳は、ほぼ南の方角に当たるので、強い風は写真の右から左に吹く(枯れ草も左に傾いている)。

灯台近くの砂浜を歩くSさん。内浦湾の対岸は室蘭・伊達方面。

室蘭のチキウ岬をズーム撮影すると、突端岩壁の基部が下方に投影して、えぐれたように見えた。手前の船も、背高になっている。軽い蜃気楼現象のなせる業。

それから20分後、蜃気楼現象が発達して、伊達方面の海岸家並が鏡のように下方倒立して見えてきた。下方(ここでは海)が暖かく、上方(海面上の空気)が冷たいときに発現する「下位蜃気楼」で、暖かい日に舗装道路で目にする「逃げ水現象」もこのタイプ。右の山は鷲別岳(911.1m、別名:室蘭岳)。

砂崎灯台付近からは、駒ヶ岳山腹に位置する寄生火山状の西円山と東円山を同時に眺めることができる。南東方向に、亀田半島の主だった山も望めた。

砂崎灯台で、砂原岳を背景に全体写真を撮る。

灯台付近にあった、ハナマスの名残りの実。

帰路、先ほど2羽のトビが留まっていた組木では、4羽に増えていた。

鹿部町の出来澗(できま)海岸に移動。火山堆積物で構成された高さ15mほどの断崖や大きな岩に、ヒメウがコロニーを作っていた。左側の断崖に、ヒメウの団地。

ヒメウは、コロニーからいくつかの編隊に分かれ、沖合へ食餌に出かけていった。

この場所からは、砂原岳がゴリラや犬、たてがみをなびかせたライオンの横顔に見える。

出来澗漁港に移動したが、海鳥は1羽しか確認できず空振り。南防波堤から駒ヶ岳三座を望む。右から砂原岳(1,112.2m)、剣ヶ峯(1,131m)、隅田盛(892.2m)。左の建物は、ロイヤルホテルみなみ北海道鹿部。

出来澗海岸には、火山噴火時の岩屑(がんせつ)雪崩や降下軽石による地層の縞模様が認められる。下部は1640年(江戸時代初期の寛永17年)の岩屑雪崩と泥流、1694年と1856年の大噴火を経て、上部は1929年(昭和4年)の降下軽石による。1640年の岩屑雪崩では、海岸に押し出した岩屑雪崩によって津波が発生し、内浦湾沿岸で和人やアイヌの700人ほどが犠牲になったという。

続いて、鹿部町第2の漁港である本別漁港に移動。港内ではカモ類(手前)とカモメのミナサン(奥)が出迎えてくれた。この場所で、オオバン、カイツブリ、キンクロハジロ、シノリガモ、ヒドリガモ、カモメが観察された。

キンクロハジロの御一行様。

「俺はキンクロハジロだぞ!」というような風貌。

ヒドリガモかな?

カモメのミナサン。

キンクロハジロとカモメ。

オオバンのお出ましだぁ~。

鹿部町から「大沼国際セミナーハウス」に向かう途中、道道43号線から仰いだ剣ヶ峯と隅田盛。

大沼公園の「大沼国際セミナーハウス」のロビーを借用して、ランチタイムとした。暖房が効いて快適で感謝!大沼に流れ込む宿野辺川の河口や大沼・小沼連絡路のセバットには、鳥類が集結していなかったため、ここで解散・お開きとした。
今回のバードウオッチングは、かつての八雲町企画のようにオオワシやオジロワシなどは視認できなかったが、種類こそ少なかったものの多くの鳥類を近距離で観察することができた。
2020年12月07日
12月6日(日) 川汲台場山と527.6m峰
函館近郊には「台場山」「台場」と称される地名がいくつか残されている。すべて「箱館戦争」(1868年~69年、新政府軍と旧幕府軍による戊辰戦争の最終局面で行われた戦闘)の史跡であり、内浦湾に面する鷲ノ木(現・森町)に上陸した榎本武揚率いる旧幕府軍が、新政府軍の侵攻に備えて築いた砲台跡がある。
今回訪れた旧南茅部町の川汲台場山(491m)もその一つで、土方歳三率いる分隊が箱館府軍と戦闘を交えて敗走させ、箱館戦争の火蓋を切った地である。参加は24名。
当クラブではこの数年、川汲公園から旧々道を通って川汲峠を越えて頂上へ登り、北東尾根を下る周回コースを歩いていたが、今回は往路として新川汲トンネル南側から上がるNTT管理道路を利用する横断コースを企画した。
下山口に近い川汲公園に大部分の車を回してから、NTT管理道路入口ゲートを8時50分に出発する。快晴の空で、気持ちが良い。

晴れて明け方に冷え込んだため、木々は樹霜(じゅそう)をまとっていた。樹霜とは、水蒸気が気温の低下で昇華し、樹木の枝など地面より高い所にできる霜のこと。

その樹霜に朝日が射して融け、水滴となって垂れ下がっている。逆光を浴びて、美しい。

NTT管理道路の路肩に紅白縞のポールが立てられ、上部に2組の数字が付けられている。下の数字(写真では1600m)は入口からここまでの距離、上の数字(同じく2629m)はここから川汲峠の上に建つ無線中継施設までの距離を示している。
![施設までの距離[上]と入口からの距離[下] 施設までの距離[上]と入口からの距離[下]](//img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201206-D%E5%B7%9D%E6%B1%B2%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E5%B1%B1k%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AE%E8%B7%9D%E9%9B%A2%5B%E4%B8%8A%5D%E3%81%A8%E5%85%A5%E5%8F%A3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E8%B7%9D%E9%9B%A2%5B%E4%B8%8B%5Dk.jpg)
川汲峠付近から南南西に伸びる尾根の東側~南側に付けられた道路は日当たりが良く、のんびりと陽だまりハイクが楽しめた。

日当たりの良い斜面に、黄色い蕾を付けたナニワズ。

道路入口から3、000mほど歩くと、正面の樹間から無線中継所が見えてきた。

10時20分、川汲峠に到着。

峠で休憩中、時間の余裕があるので、前から気になっていた北西隣りの三角点峰(527.6m)を訪れてみようとの意見がまとまった。所々で笹が被った古い林道を1.3kmほど辿る。

C462mのコルから、南東尾根に取り付く。笹薮を漕いでいくと、ところどころで古い登山道の痕跡が現れる。

途中で見かけた、大きなサルノコシカケ。

20分ほどの藪漕ぎで、三角点標がある頂上に達した。二等三角点で、点名は「川汲」。
![527.6m峰の二等三角点[点名:川汲] 527.6m峰の二等三角点[点名:川汲]](//img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201206-L%E5%B7%9D%E6%B1%B2%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E5%B1%B1k527.6m%E5%B3%B0%E3%81%AE%E4%BA%8C%E7%AD%89%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%82%B9%5B%E7%82%B9%E5%90%8D%EF%BC%9A%E5%B7%9D%E6%B1%B2%5Dk.jpg)
1名を除いて初めて頂上に立った記念にと、全体写真を撮る。

10分ほどの滞在で下り始める。来春の蕾を付けたキタコブシの木があった。

川汲台場山を正面に見ながら、旧い林道を引き返す。

台場山に向かう登りに入る。前を行くメンバーのザックに付けられたモノは?

12時25分、穏やかに晴れた川汲台場山に到着。2回目の全体写真を撮ってから、ランチタイムとする。


メンバーのIさんが途中で見つけた鹿の落とし角。山菜採り用ナイフの柄に使うと言う。ちなみに、12月26日(旧暦11月12日)は七十二候の一つ「麋角解(びかくげす)」で、鹿の角が落ちて生え替わる頃とされる。

頂上からの展望をどうぞ。先ず、南南西方向にNTT無線中継所と、左奥に丸い頂きの尾札部毛無山(630.6m)。
![NTT無線中継所と尾札部毛無山[左] NTT無線中継所と尾札部毛無山[左]](//img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201206-S%E5%B7%9D%E6%B1%B2%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E5%B1%B1kNTT%E7%84%A1%E7%B7%9A%E4%B8%AD%E7%B6%99%E6%89%80%E3%81%A8%E5%B0%BE%E6%9C%AD%E9%83%A8%E6%AF%9B%E7%84%A1%E5%B1%B1%5B%E5%B7%A6%5Dk.jpg)
東南東方向、左の三角錐形は578m峰、右には582m峰と古部丸山(691.0m)が前後に重なって見える。
![578m峰[左]と古部丸山[右奥] 578m峰[左]と古部丸山[右奥]](//img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201206-T%E5%B7%9D%E6%B1%B2%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E5%B1%B1k578m%E5%B3%B0%5B%E5%B7%A6%5D%E3%81%A8%E5%8F%A4%E9%83%A8%E4%B8%B8%E5%B1%B1%5B%E5%8F%B3%E5%A5%A5%5Dk.jpg)
南西方向は、左に函館山(334m)と右奥にかすむ当別丸山(482.3m)。
![函館山と当別丸山[右奥] 函館山と当別丸山[右奥]](//img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201206-U%E5%B7%9D%E6%B1%B2%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E5%B1%B1k%E5%87%BD%E9%A4%A8%E5%B1%B1%E3%81%A8%E5%BD%93%E5%88%A5%E4%B8%B8%E5%B1%B1%5B%E5%8F%B3%E5%A5%A5%5Dk.jpg)
西に三森山(842.1m)。

北西に函館市最高峰の袴腰岳(1,108.4m)。

12時55分、頂上をあとに川汲温泉に向かって北東尾根を下る。途中で左後方の樹林越しに、先ほど登った527.6m峰(三角点名「川汲」)が見えた。

北東尾根上の306mポコに登り返す途中にある、ブナの大木。

川汲温泉旅館が見えてきた。川汲温泉は土方歳三も入浴したと言われ、この旅館の駐車場には「箱館戦争川汲戦戦死者慰霊碑」が建つ。

14時55分、川汲公園駐車場に到着して下山を終了。挨拶を済ませ、車相乗りで道道83号線をNTT管理道路入口に向かった。
この管理道路を利用させてもらうと、川汲台場山に最も短時間で楽に登ることができる。当クラブには、ありがたいコースである。
今回訪れた旧南茅部町の川汲台場山(491m)もその一つで、土方歳三率いる分隊が箱館府軍と戦闘を交えて敗走させ、箱館戦争の火蓋を切った地である。参加は24名。
当クラブではこの数年、川汲公園から旧々道を通って川汲峠を越えて頂上へ登り、北東尾根を下る周回コースを歩いていたが、今回は往路として新川汲トンネル南側から上がるNTT管理道路を利用する横断コースを企画した。
下山口に近い川汲公園に大部分の車を回してから、NTT管理道路入口ゲートを8時50分に出発する。快晴の空で、気持ちが良い。

晴れて明け方に冷え込んだため、木々は樹霜(じゅそう)をまとっていた。樹霜とは、水蒸気が気温の低下で昇華し、樹木の枝など地面より高い所にできる霜のこと。

その樹霜に朝日が射して融け、水滴となって垂れ下がっている。逆光を浴びて、美しい。

NTT管理道路の路肩に紅白縞のポールが立てられ、上部に2組の数字が付けられている。下の数字(写真では1600m)は入口からここまでの距離、上の数字(同じく2629m)はここから川汲峠の上に建つ無線中継施設までの距離を示している。
![施設までの距離[上]と入口からの距離[下] 施設までの距離[上]と入口からの距離[下]](http://img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201206-D%E5%B7%9D%E6%B1%B2%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E5%B1%B1k%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AE%E8%B7%9D%E9%9B%A2%5B%E4%B8%8A%5D%E3%81%A8%E5%85%A5%E5%8F%A3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E8%B7%9D%E9%9B%A2%5B%E4%B8%8B%5Dk.jpg)
川汲峠付近から南南西に伸びる尾根の東側~南側に付けられた道路は日当たりが良く、のんびりと陽だまりハイクが楽しめた。

日当たりの良い斜面に、黄色い蕾を付けたナニワズ。

道路入口から3、000mほど歩くと、正面の樹間から無線中継所が見えてきた。

10時20分、川汲峠に到着。

峠で休憩中、時間の余裕があるので、前から気になっていた北西隣りの三角点峰(527.6m)を訪れてみようとの意見がまとまった。所々で笹が被った古い林道を1.3kmほど辿る。

C462mのコルから、南東尾根に取り付く。笹薮を漕いでいくと、ところどころで古い登山道の痕跡が現れる。

途中で見かけた、大きなサルノコシカケ。

20分ほどの藪漕ぎで、三角点標がある頂上に達した。二等三角点で、点名は「川汲」。
![527.6m峰の二等三角点[点名:川汲] 527.6m峰の二等三角点[点名:川汲]](http://img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201206-L%E5%B7%9D%E6%B1%B2%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E5%B1%B1k527.6m%E5%B3%B0%E3%81%AE%E4%BA%8C%E7%AD%89%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%82%B9%5B%E7%82%B9%E5%90%8D%EF%BC%9A%E5%B7%9D%E6%B1%B2%5Dk.jpg)
1名を除いて初めて頂上に立った記念にと、全体写真を撮る。

10分ほどの滞在で下り始める。来春の蕾を付けたキタコブシの木があった。

川汲台場山を正面に見ながら、旧い林道を引き返す。

台場山に向かう登りに入る。前を行くメンバーのザックに付けられたモノは?

12時25分、穏やかに晴れた川汲台場山に到着。2回目の全体写真を撮ってから、ランチタイムとする。


メンバーのIさんが途中で見つけた鹿の落とし角。山菜採り用ナイフの柄に使うと言う。ちなみに、12月26日(旧暦11月12日)は七十二候の一つ「麋角解(びかくげす)」で、鹿の角が落ちて生え替わる頃とされる。

頂上からの展望をどうぞ。先ず、南南西方向にNTT無線中継所と、左奥に丸い頂きの尾札部毛無山(630.6m)。
![NTT無線中継所と尾札部毛無山[左] NTT無線中継所と尾札部毛無山[左]](http://img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201206-S%E5%B7%9D%E6%B1%B2%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E5%B1%B1kNTT%E7%84%A1%E7%B7%9A%E4%B8%AD%E7%B6%99%E6%89%80%E3%81%A8%E5%B0%BE%E6%9C%AD%E9%83%A8%E6%AF%9B%E7%84%A1%E5%B1%B1%5B%E5%B7%A6%5Dk.jpg)
東南東方向、左の三角錐形は578m峰、右には582m峰と古部丸山(691.0m)が前後に重なって見える。
![578m峰[左]と古部丸山[右奥] 578m峰[左]と古部丸山[右奥]](http://img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201206-T%E5%B7%9D%E6%B1%B2%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E5%B1%B1k578m%E5%B3%B0%5B%E5%B7%A6%5D%E3%81%A8%E5%8F%A4%E9%83%A8%E4%B8%B8%E5%B1%B1%5B%E5%8F%B3%E5%A5%A5%5Dk.jpg)
南西方向は、左に函館山(334m)と右奥にかすむ当別丸山(482.3m)。
![函館山と当別丸山[右奥] 函館山と当別丸山[右奥]](http://img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201206-U%E5%B7%9D%E6%B1%B2%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E5%B1%B1k%E5%87%BD%E9%A4%A8%E5%B1%B1%E3%81%A8%E5%BD%93%E5%88%A5%E4%B8%B8%E5%B1%B1%5B%E5%8F%B3%E5%A5%A5%5Dk.jpg)
西に三森山(842.1m)。

北西に函館市最高峰の袴腰岳(1,108.4m)。

12時55分、頂上をあとに川汲温泉に向かって北東尾根を下る。途中で左後方の樹林越しに、先ほど登った527.6m峰(三角点名「川汲」)が見えた。

北東尾根上の306mポコに登り返す途中にある、ブナの大木。

川汲温泉旅館が見えてきた。川汲温泉は土方歳三も入浴したと言われ、この旅館の駐車場には「箱館戦争川汲戦戦死者慰霊碑」が建つ。

14時55分、川汲公園駐車場に到着して下山を終了。挨拶を済ませ、車相乗りで道道83号線をNTT管理道路入口に向かった。
この管理道路を利用させてもらうと、川汲台場山に最も短時間で楽に登ることができる。当クラブには、ありがたいコースである。
2020年12月04日
12月2日(水) 12月例会
いつもなら、例会と一緒に開催されていた忘年会も、今年は「なし」。毎年納会のお山でふるまわれていたお汁粉も、今年は「なし」。「なし」づくしの1年でした。でも、コロナウイルスに気を付けながらみんなで、お山を楽しめたので「よし」ですね。
11月の行事報告
11月8日(日)・・・・・・白神岳~天狗山(福島町・松前町)
この時期にしては天気も良く、ぐるりと大千軒岳、七ツ岳などの山々、海に浮かぶ松前小島、対岸の津軽半島まで見え展望に恵まれた。この辺りは日本有数の渡り鳥の中継地で、この日も小集団を観察することができた。おまけ・・・帰りに立ち寄った知内の重内(おもない)神社で、北海道では道南にしかないキッコウハグマ(亀甲白熊)を見ることができた。
11月12日(日)・・・・・・東円山(駒ヶ岳の東側中腹の山)
カラマツ林の黄葉は盛りを過ぎていたが、抜けるような青空の中、まじかに見えるゴツゴツした砂原岳がゴリラ顔?たてがみを持ったライオン?のように見えた。またおまけ・・・・帰りに鹿部町の林間分譲地に立ち寄り、珍しいヤエガワカンバ(八重皮樺・準絶滅危惧種)を観察した。
11月15日(木)・・・・・・小鉾岳(八雲町)
ふかふか落ち葉に隠れた熊さんの糞に気を付けながらの急登、細尾根、ロープ場、変化にとんだ山でした。時期的に、そろそろ心配される積雪はわずかでしたが、さすが山頂は寒かった。
11月22日(日)・・・・・・川汲台場山
悪天予想のため中止。
11月29日(日)・・・・・・当別丸山(北斗市)
木古内寄りの登山口から南尾根を上がる組と、いつものトラピスト修道院から上がる組に分かれ、頂上で合流した。数人は急な藪漕ぎの南尾根から上がり、整備されたトラピスト修道院コースを下った。
12・1月の行事予定 ※1月の例会は開催しません
川汲台場山 バードウオッチング(砂原・鹿部・大沼) 七飯岳 庄司山 函館山
鏡山 北斗700峰 三枚岳 清水山
学 習 会
今回は「山行時の決め事」を全員で確認した。
11月の行事報告
11月8日(日)・・・・・・白神岳~天狗山(福島町・松前町)
この時期にしては天気も良く、ぐるりと大千軒岳、七ツ岳などの山々、海に浮かぶ松前小島、対岸の津軽半島まで見え展望に恵まれた。この辺りは日本有数の渡り鳥の中継地で、この日も小集団を観察することができた。おまけ・・・帰りに立ち寄った知内の重内(おもない)神社で、北海道では道南にしかないキッコウハグマ(亀甲白熊)を見ることができた。
11月12日(日)・・・・・・東円山(駒ヶ岳の東側中腹の山)
カラマツ林の黄葉は盛りを過ぎていたが、抜けるような青空の中、まじかに見えるゴツゴツした砂原岳がゴリラ顔?たてがみを持ったライオン?のように見えた。またおまけ・・・・帰りに鹿部町の林間分譲地に立ち寄り、珍しいヤエガワカンバ(八重皮樺・準絶滅危惧種)を観察した。
11月15日(木)・・・・・・小鉾岳(八雲町)
ふかふか落ち葉に隠れた熊さんの糞に気を付けながらの急登、細尾根、ロープ場、変化にとんだ山でした。時期的に、そろそろ心配される積雪はわずかでしたが、さすが山頂は寒かった。
11月22日(日)・・・・・・川汲台場山
悪天予想のため中止。
11月29日(日)・・・・・・当別丸山(北斗市)
木古内寄りの登山口から南尾根を上がる組と、いつものトラピスト修道院から上がる組に分かれ、頂上で合流した。数人は急な藪漕ぎの南尾根から上がり、整備されたトラピスト修道院コースを下った。
12・1月の行事予定 ※1月の例会は開催しません
川汲台場山 バードウオッチング(砂原・鹿部・大沼) 七飯岳 庄司山 函館山
鏡山 北斗700峰 三枚岳 清水山
学 習 会
今回は「山行時の決め事」を全員で確認した。

2020年12月02日
11月29日(日) 当別丸山~南尾根コース
当別丸山(482.3m)は、北斗市の観光名所であるトラピスト修道院の裏側から付けられた登山コースを往復するのが一般的である。この度、函館市在住のMさんから話を聞いて南尾根コースを登ってみた。このコースの参加は登り23名、下り16名。
国道228号線を函館から木古内町方面に向かい、トラピスト修道院入り口を過ぎて右の海岸段丘に上がると、「ギャラリー日の丘」がある。その道路をさらに詰めると、国土地理院地形図で標高「82」の地点に水道設備らしい建物があり、ここを発着点とした。
頂上との標高差はちょうど400m。これを水平距離約1,500mで登るのだから、結構急な登りである。最も急なところは、勾配が30度に近い。
9時12分に出発。最初は旧い林道を辿っていく。歩きづらい道で、この時期の山野草はツルリンドウの赤い実が目に付くだけ。キノコと一緒にどうぞ。


古い林道が尽きると、笹薮漕ぎになる。ここは未だ藪が薄い。
次第に笹薮の丈が高く、傾斜も急になってくる。振り返ると、樹間から麓(北斗市三ツ石地区)の牧草地と津軽海峡が見えた。


丈の高い笹薮の急登が続く。トレッキングポール(ストック)はザックに付けて空いた手で笹の株や木の幹を掴みながら、前の人の足元を確かめつつ、列から外れないようにゆっくり登る。


C300mを越えると、北斗市と木古内町の市町境を進むようになる。C320m付近で見かけたコンクリート製の市町境標識。右の側面に、家紋の「星梅鉢」や「六曜」のような窪みが付いている。何の記号だろうか。

勾配が最も急な箇所にさしかかる。笹の丈は少し低くなってきた。


笹薮の密度は少なくなってきたが、尾根上の急登が続く。

C400mを過ぎると、傾斜はやや緩くなる。オオカメノキの冬芽がお見送り。

尾根上の少し平らになったところで一休み。

頂上に近づくと、藪の薄い登りになってきた。

と思いきや、また深い藪を漕ぎながらの登りになり、最後の一踏ん張りで突然、頂上から50mほど手前で修道院コースに出合って南尾根コースは終わった。

11時2分、頂上に到着し、トラピスト修道院コースを登ってきたメンバーと合流。頂上での集合写真は、トラピスト修道院コースのブログ(こちら)をどうぞ。
11時43分、頂上をあとに16名で南尾根コースを引き返す(残る7名はトラピスト修道院コースを下った)。急な下りは前を歩くメンバーと離れないよう、慎重に進む。


12時48分、出発地点に戻って下山を終了。登り1時間50分、下り1時間5分の行動時間であった。
新しいコースは、藪漕ぎの距離も苦にならず、童心に返ってひたすら登る楽しさがあった。曇り空ながら風もなく、良い一日を過ごすことができた。
国道228号線を函館から木古内町方面に向かい、トラピスト修道院入り口を過ぎて右の海岸段丘に上がると、「ギャラリー日の丘」がある。その道路をさらに詰めると、国土地理院地形図で標高「82」の地点に水道設備らしい建物があり、ここを発着点とした。
頂上との標高差はちょうど400m。これを水平距離約1,500mで登るのだから、結構急な登りである。最も急なところは、勾配が30度に近い。
9時12分に出発。最初は旧い林道を辿っていく。歩きづらい道で、この時期の山野草はツルリンドウの赤い実が目に付くだけ。キノコと一緒にどうぞ。


古い林道が尽きると、笹薮漕ぎになる。ここは未だ藪が薄い。

次第に笹薮の丈が高く、傾斜も急になってくる。振り返ると、樹間から麓(北斗市三ツ石地区)の牧草地と津軽海峡が見えた。


丈の高い笹薮の急登が続く。トレッキングポール(ストック)はザックに付けて空いた手で笹の株や木の幹を掴みながら、前の人の足元を確かめつつ、列から外れないようにゆっくり登る。


C300mを越えると、北斗市と木古内町の市町境を進むようになる。C320m付近で見かけたコンクリート製の市町境標識。右の側面に、家紋の「星梅鉢」や「六曜」のような窪みが付いている。何の記号だろうか。

勾配が最も急な箇所にさしかかる。笹の丈は少し低くなってきた。


笹薮の密度は少なくなってきたが、尾根上の急登が続く。

C400mを過ぎると、傾斜はやや緩くなる。オオカメノキの冬芽がお見送り。

尾根上の少し平らになったところで一休み。

頂上に近づくと、藪の薄い登りになってきた。

と思いきや、また深い藪を漕ぎながらの登りになり、最後の一踏ん張りで突然、頂上から50mほど手前で修道院コースに出合って南尾根コースは終わった。

11時2分、頂上に到着し、トラピスト修道院コースを登ってきたメンバーと合流。頂上での集合写真は、トラピスト修道院コースのブログ(こちら)をどうぞ。
11時43分、頂上をあとに16名で南尾根コースを引き返す(残る7名はトラピスト修道院コースを下った)。急な下りは前を歩くメンバーと離れないよう、慎重に進む。


12時48分、出発地点に戻って下山を終了。登り1時間50分、下り1時間5分の行動時間であった。
新しいコースは、藪漕ぎの距離も苦にならず、童心に返ってひたすら登る楽しさがあった。曇り空ながら風もなく、良い一日を過ごすことができた。
2020年12月01日
11月29日(日) 当別丸山~トラピスト修道院コース
「当別丸山 482.3m」
トラピスト修道院裏の墓地から、舗装された道をあがって行くとルルドの洞窟があります。その横が登山口。楽しみにしていた濃厚なソフトクリームも11月15日(日)で終了!下山後の楽しみが少なくなりましたが、落ち葉を踏みしめながらゆっくりと展望を楽しんできました。
登山開始 9:10

牧草地の横のナナカマドの実

9:20 ルルドの洞窟から見えた知内方向の「天使の梯子」

崩落した旧ルルド洞窟近くの看板 「ハイ いってきま~す。」と返事をしたくなる。よく見ると爪に赤いマニキュア
ヒメアオキの実がいっぱい。まだ赤くなっていませんが。
10:38 急登が終わって展望が開けます。標高408m
お休みどころに、丸太を蔓で縛ったベンチまでありました。どっこいしょ!
10:54 山頂到着
10:58 ギャラリー日の丘の横を通り、行き止まりの水道施設?横から南尾根を登ってきた仲間と合流。山頂近くの470m付近でガサゴソ笹の中からヤッホー
全員集合 後ろのほう写ってなかった。ごめんなさ~い。
11:40 下山開始 黄色い蕾のナニワズ 咲きそう!
咲いちゃったナニワズ 春にまた咲くのかしら?雪がふるのに心配!
12:46 下山は展望台を回って。 ユズリハ 花言葉は「世代交代」縁起の良い木。葉や実には有毒物質が含まれ、動物は食べない。
わずかに 残っていた紫式部
ツルリンドウの実が あっちにもこっちにも・・・・もりもりでした。
13:05 下山終了 いつの間にか倒木も処理され、かわいらしい看板がタイミングよくあらわれ、感謝!感謝!滑る足元に気を付けながら、登山道わきの花や実に歓声を上げ、風もなく穏やかな1日を楽しむことができました。
トラピスト修道院裏の墓地から、舗装された道をあがって行くとルルドの洞窟があります。その横が登山口。楽しみにしていた濃厚なソフトクリームも11月15日(日)で終了!下山後の楽しみが少なくなりましたが、落ち葉を踏みしめながらゆっくりと展望を楽しんできました。
登山開始 9:10

牧草地の横のナナカマドの実

9:20 ルルドの洞窟から見えた知内方向の「天使の梯子」

崩落した旧ルルド洞窟近くの看板 「ハイ いってきま~す。」と返事をしたくなる。よく見ると爪に赤いマニキュア

ヒメアオキの実がいっぱい。まだ赤くなっていませんが。

10:38 急登が終わって展望が開けます。標高408m

お休みどころに、丸太を蔓で縛ったベンチまでありました。どっこいしょ!

10:54 山頂到着

10:58 ギャラリー日の丘の横を通り、行き止まりの水道施設?横から南尾根を登ってきた仲間と合流。山頂近くの470m付近でガサゴソ笹の中からヤッホー

全員集合 後ろのほう写ってなかった。ごめんなさ~い。

11:40 下山開始 黄色い蕾のナニワズ 咲きそう!

咲いちゃったナニワズ 春にまた咲くのかしら?雪がふるのに心配!

12:46 下山は展望台を回って。 ユズリハ 花言葉は「世代交代」縁起の良い木。葉や実には有毒物質が含まれ、動物は食べない。

わずかに 残っていた紫式部

ツルリンドウの実が あっちにもこっちにも・・・・もりもりでした。

13:05 下山終了 いつの間にか倒木も処理され、かわいらしい看板がタイミングよくあらわれ、感謝!感謝!滑る足元に気を付けながら、登山道わきの花や実に歓声を上げ、風もなく穏やかな1日を楽しむことができました。