2021年12月20日
12月19日(日) 庄司山(納会)
一年締め括りの納会登山は、恒例の庄司山(570.3m)。前日までのやや強い風雪が収まって、風も弱く時折り青空が覗く納会日和となった。参加は35名。
函館市亀田中野町の開拓地農道終点(C250)に駐車して、出発の準備を整える。

9時20分に出発し、蒜沢川左岸の通称「送電線コース」を進む。

今年は雪が少なく、歩きやすい。

途中で林の間から、通称「オニギリ山」の名前どおりの山容が見えた。

「送電線コース」を緩やかに登っていく。

30分ほどで、蒜沢川右岸から辿るコースとの三叉路(C330)に到着し、休憩を取る。この付近に「亀田村」標柱がある。1962年1月に町制施行で「亀田町」になるまで、村として存在した。

隣には「農林省」と読める旧い標柱も。

積雪は少ないが、これからの登りに備えて軽アイゼンを装着する。

やや急な登りに取り付く。

上部になっても積雪は少ないが、落ち葉の上に薄く積もった雪は滑りやすい。

登りの途中で一息入れる。


稜線の肩に上がる手前の登りを行く各メンバーを、13枚の写真で…(写しきらなかった人も…)。













最後の登り。その向こうに頂上が待っている。

10時50分、頂上に到着。振り返ると津軽海峡を背景に、函館市街地が一望できた。

函館山をズームアップで。

こちらは湯の川温泉方面。

新中野ダム湖と雁皮山方面。

頂上稜線を北東に辿って、大岩の足元にある祠を訪問した。

弘法大師御堂(左)と不動明王祠(右)の扉を開けて、皆さんで順番に拝む。最後に元通り、扉をきちんと閉めた。

頂上に戻ってランチタイムとする。その後、三吉(みよし)神社の前で恒例の全体写真を撮る。34人が何とか1枚に収まった。


三吉神社の可愛らしい祠。秋田市内に鎮座する山岳信仰の三吉神社総本宮(郊外の太平山頂上[1170.4m]に奥宮)の守護神である三吉大権現が祀られており、昔、戦争に行った息子さんの安息を願った母親が、息災であるようにと煙管を、怪我なく歩けるようにと鉄の草鞋を祀ったそうな。

11時50分、下山を始める。


少し下がった稜線にあった、オヤマボクチのドライフラワー。

下りは速い。「送電線コース」を足取り軽く進んでいく。

12時53分、開拓地農道終点(C250)に到着して、下山を終了した。

Km会長から「今年もコロナ禍が続いたが、会員から感染者が出なかったことに感謝します。オミクロン株の流行が懸念されるので、引き続き感染防止に努めて下さい」との締めの挨拶があり、納会を終えた。
帰路の農道から眺めた庄司山と、左奥に袴腰岳と烏帽子岳。

今年も新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延により、月例会や会山行が大きな影響を受けた。感染されない意識だけでなく、「自分は無症状だが、感染しているかも知れない」という意識を持ち、山行中も自分のために、他の人のために、うつさない、うつらない行動に心掛けた一年であった。
来年も引き続き、よろしくお願いします。
函館市亀田中野町の開拓地農道終点(C250)に駐車して、出発の準備を整える。

9時20分に出発し、蒜沢川左岸の通称「送電線コース」を進む。

今年は雪が少なく、歩きやすい。

途中で林の間から、通称「オニギリ山」の名前どおりの山容が見えた。

「送電線コース」を緩やかに登っていく。

30分ほどで、蒜沢川右岸から辿るコースとの三叉路(C330)に到着し、休憩を取る。この付近に「亀田村」標柱がある。1962年1月に町制施行で「亀田町」になるまで、村として存在した。

隣には「農林省」と読める旧い標柱も。

積雪は少ないが、これからの登りに備えて軽アイゼンを装着する。

やや急な登りに取り付く。

上部になっても積雪は少ないが、落ち葉の上に薄く積もった雪は滑りやすい。

登りの途中で一息入れる。


稜線の肩に上がる手前の登りを行く各メンバーを、13枚の写真で…(写しきらなかった人も…)。













最後の登り。その向こうに頂上が待っている。

10時50分、頂上に到着。振り返ると津軽海峡を背景に、函館市街地が一望できた。

函館山をズームアップで。

こちらは湯の川温泉方面。

新中野ダム湖と雁皮山方面。

頂上稜線を北東に辿って、大岩の足元にある祠を訪問した。

弘法大師御堂(左)と不動明王祠(右)の扉を開けて、皆さんで順番に拝む。最後に元通り、扉をきちんと閉めた。

頂上に戻ってランチタイムとする。その後、三吉(みよし)神社の前で恒例の全体写真を撮る。34人が何とか1枚に収まった。


三吉神社の可愛らしい祠。秋田市内に鎮座する山岳信仰の三吉神社総本宮(郊外の太平山頂上[1170.4m]に奥宮)の守護神である三吉大権現が祀られており、昔、戦争に行った息子さんの安息を願った母親が、息災であるようにと煙管を、怪我なく歩けるようにと鉄の草鞋を祀ったそうな。

11時50分、下山を始める。


少し下がった稜線にあった、オヤマボクチのドライフラワー。

下りは速い。「送電線コース」を足取り軽く進んでいく。

12時53分、開拓地農道終点(C250)に到着して、下山を終了した。

Km会長から「今年もコロナ禍が続いたが、会員から感染者が出なかったことに感謝します。オミクロン株の流行が懸念されるので、引き続き感染防止に努めて下さい」との締めの挨拶があり、納会を終えた。
帰路の農道から眺めた庄司山と、左奥に袴腰岳と烏帽子岳。

今年も新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延により、月例会や会山行が大きな影響を受けた。感染されない意識だけでなく、「自分は無症状だが、感染しているかも知れない」という意識を持ち、山行中も自分のために、他の人のために、うつさない、うつらない行動に心掛けた一年であった。
来年も引き続き、よろしくお願いします。
2021年12月16日
12月15日(水) バードウオッチング@鹿部・大沼
12月の自然部企画は、恒例のバードウオッチング。今回も近郊の鹿部町海岸と大沼公園を訪れて、海鳥などを観察した。参加は15名。
最初に、12月12日の東円山(こちら)の帰路でも立ち寄った、鹿部町林間分譲地に自生する「ヤエガワカンバ(八重皮樺)」を観察した。

幹は幾重にも被さる樹皮に覆われている。

その足元で見かけた、季節外れのフキノトウ。

最初に出来澗(できま)海岸に出向いて、海鳥を探す。この海岸は江戸時代初期の寛永17年(1640年)、駒ヶ岳大噴火時に山体崩壊で岩屑(がんせつ)なだれが発生し、内浦湾に流れ出した際の堆積物で形成された。
高さ20mほどの海食崖に、ヒメウが営巣地(コロニー)を作っている。崖にへばりつくヒメウが見えるだろうか。

今回は食餌で沖に出ている時間帯なのか、コロニーにいるヒメウの数が少なかった。同じ場所で、4日前(12月11日)の昼頃に撮った写真もどうぞ。

海岸の突端からやや離れた波間に、何種類かの海鳥が泳いだり潜ったり(食餌)していた。シノリガモが3羽。

こちらはカイツブリか。

海岸まで往復した林間で、ウメガサソウやフユノハナワラビなどの山野草が見られた。こちらはツルリンドウ。

次に移動した出来澗漁港では、風向きの関係で波がやや高かったためか、ヒメウ1羽を見かけただけであった。頂上部が雲に覆われた駒ヶ岳を望む。

本別漁港に移ると、割合に多くの海鳥を観察することができた。こちらはキンクロハジロの雄。

同じく、キンクロハジロの雄と雌の集団。

岩壁と直角に係留された漁船の舳先を、オオバンが泳いでいく。漁船の隙間を伺って平行移動しながら、写真を撮る。


単純にカモメかと思っていたが、嘴先端にある赤と黒の斑や羽毛の色取りから、ウミネコらしい。

時雨(通り雨)で虹がかかった。


次は折戸川の河口付近に移動。川岸にそっと近づくと、マガモの雄が悠々と泳いでいた。

チュウサギの姿を発見。写真には撮れなかったが、アオサギもいた。

物音か人影などに驚いて、川面から一斉に飛び立ったカモ類とチュウサギ。

鹿部漁港に移動する際に通りかかった鹿部海岸で、シノリガモを見かけた。

同じく、鹿部川河口の先に集まっていたホオジロガモ。

鹿部漁港で観察した、キンクロハジロの隊列。先頭は雌。

1羽で悠々と泳いでいたのは、カイツブリか。


鹿部町を後に、七飯町「大沼国際セミナーハウス」へ向かい、暖かいロビーを使わせてもらってランチタイムとした。
その後、大沼と小沼が繋がる「白鳥台セバット」で、マガモを観察。こちらは雄と雌のペア。

雄4羽のカルテット。「ダーク・ダックス」か(古いなぁ~)。

小沼から見上げる木地挽高原にも、雪は少ない。

最後に、恒例の全体集合写真を撮る(あと一人は?)。

ここで解散し、帰宅の途に就いた。
風が冷たく、時折り弱い時雨が降る天候であったが、馴染みの鳥類をたくさん観察することができた。
最初に、12月12日の東円山(こちら)の帰路でも立ち寄った、鹿部町林間分譲地に自生する「ヤエガワカンバ(八重皮樺)」を観察した。

幹は幾重にも被さる樹皮に覆われている。

その足元で見かけた、季節外れのフキノトウ。

最初に出来澗(できま)海岸に出向いて、海鳥を探す。この海岸は江戸時代初期の寛永17年(1640年)、駒ヶ岳大噴火時に山体崩壊で岩屑(がんせつ)なだれが発生し、内浦湾に流れ出した際の堆積物で形成された。
高さ20mほどの海食崖に、ヒメウが営巣地(コロニー)を作っている。崖にへばりつくヒメウが見えるだろうか。

今回は食餌で沖に出ている時間帯なのか、コロニーにいるヒメウの数が少なかった。同じ場所で、4日前(12月11日)の昼頃に撮った写真もどうぞ。

海岸の突端からやや離れた波間に、何種類かの海鳥が泳いだり潜ったり(食餌)していた。シノリガモが3羽。

こちらはカイツブリか。

海岸まで往復した林間で、ウメガサソウやフユノハナワラビなどの山野草が見られた。こちらはツルリンドウ。

次に移動した出来澗漁港では、風向きの関係で波がやや高かったためか、ヒメウ1羽を見かけただけであった。頂上部が雲に覆われた駒ヶ岳を望む。

本別漁港に移ると、割合に多くの海鳥を観察することができた。こちらはキンクロハジロの雄。

同じく、キンクロハジロの雄と雌の集団。

岩壁と直角に係留された漁船の舳先を、オオバンが泳いでいく。漁船の隙間を伺って平行移動しながら、写真を撮る。


単純にカモメかと思っていたが、嘴先端にある赤と黒の斑や羽毛の色取りから、ウミネコらしい。

時雨(通り雨)で虹がかかった。


次は折戸川の河口付近に移動。川岸にそっと近づくと、マガモの雄が悠々と泳いでいた。

チュウサギの姿を発見。写真には撮れなかったが、アオサギもいた。

物音か人影などに驚いて、川面から一斉に飛び立ったカモ類とチュウサギ。

鹿部漁港に移動する際に通りかかった鹿部海岸で、シノリガモを見かけた。

同じく、鹿部川河口の先に集まっていたホオジロガモ。

鹿部漁港で観察した、キンクロハジロの隊列。先頭は雌。

1羽で悠々と泳いでいたのは、カイツブリか。


鹿部町を後に、七飯町「大沼国際セミナーハウス」へ向かい、暖かいロビーを使わせてもらってランチタイムとした。
その後、大沼と小沼が繋がる「白鳥台セバット」で、マガモを観察。こちらは雄と雌のペア。

雄4羽のカルテット。「ダーク・ダックス」か(古いなぁ~)。

小沼から見上げる木地挽高原にも、雪は少ない。

最後に、恒例の全体集合写真を撮る(あと一人は?)。

ここで解散し、帰宅の途に就いた。
風が冷たく、時折り弱い時雨が降る天候であったが、馴染みの鳥類をたくさん観察することができた。
2021年12月13日
12月12日(日) 東円山
東円山(481.3m)は北海道駒ヶ岳(砂原岳)の東山腹にある寄生火山状のコブ。旧い林道と砂防用作業道をつないで、緩やかに山頂を目指した。最後だけやや急な登りを詰めた頂上からは、目の前に「ゴリラ顔」の砂原岳を仰ぎ、見通しが良ければ北は羊蹄山など内浦湾越しの山々、南は古部丸山から横津岳、七飯岳などが一望できる。軽い登りで展望が効く山として、3年前から秋・冬の定番山行になりつつある。参加は23名。
鹿部町廃棄物処理場先の駐車場を9時ちょうどに出発。100m先を左に折れて、旧い林道に入る。

落葉樹林で見られた植生は、ツルリンドウ(実)、シラタマノキ(葉)、ベニバナイチヤクソウ(葉)。



落葉松林に代わったところで、砂原岳(1112.2m)と東円山が重なって見えた。
![旧い林道から砂原岳と東円山[手前] 旧い林道から砂原岳と東円山[手前]](//img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20211212-E%E6%9D%B1%E5%86%86%E5%B1%B1k%E6%97%A7%E3%81%84%E6%9E%97%E9%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E7%A0%82%E5%8E%9F%E5%B2%B3%E3%81%A8%E6%9D%B1%E5%86%86%E5%B1%B1%5B%E6%89%8B%E5%89%8D%5Dk.jpg)
道端には、ホツツジの花殻、薄い緑色のミヤマハナゴケ(地衣類。極北地域ではトナカイやカリブーの重要な食物源になっているとのこと)、緑色でフカフカのスギゴケ(コケ類)。



木柵を越えて作業道に合流すると、正面に砂原岳を仰ぎながら進むようになる。

砂原岳のアップ。左を向いた横顔のゴリラが、少し上を向いて、何を見ているのだろうか。

更に進むと落葉松の背が低くなり、展望が広がってくる。火口丘の上に岩峰頂部が見えるはずの剣ヶ峯(1131m)は、今日は雲の中。

雪をまとった隅田盛(892.2m)は、どっしりと構えている。

C370付近で作業道を右に折れ、東円山を正面に見て涸れ沢を渡る。

わずかに残った雪面に、エゾシカの足跡。

最後の沢の砂防堰堤を過ぎたC380の土砂堆積広場から、標高差100mを直登するグループ10名と、頂上西のコルを経由するグループ13名に分かれた。こちらは直登組。

コル経由組は、旧い林道を上がっていく。

コルから右に折れて、最後にやや急な登りに掛かる。

地衣類のミヤマハナゴケから伸びている小さなキノコ状のものは、子器(しき:子嚢胞子[しのうほうし]をつくる器官)らしい。

砂原岳を背に、もう少しで頂上…。

11時ちょうど、直登組とコル経由組は、ほぼ同時に頂上到着(登り2時間)。恒例の全体写真を撮る。

頂上でしばらく展望を楽しむ。Yhさんの提案で撮った、ゴリラの「ほっこり」写真。

あいにく北側の内浦湾越しの山々は望めなかったが、南側は古部丸山から横津岳方面まで、何とか見通せた。

北海道駒ヶ岳三山の、左手に隅田盛。

中央に岩峰がちらっと見えた剣ヶ峯。

右手に砂原岳。

10分間の頂上滞在ののち、やや強い風を避けるためC380の土砂堆積広場に下がってランチタイムとした。

11時50分に下山再開。二つ目の涸れ沢は、バリエーション(?)として砂防堰堤の上を渡る。


途中から内浦湾越しに、室蘭市の白鳥大橋の橋脚と旧・JX日鉱日石エネルギー室蘭製造所の集合煙突が見えた。

駐車場に到着する少し前、旧い林道で見つけたツチグリ。

13時ちょうど、駐車場に到着(下り1時間25分[ランチタイムを除く])し、簡単に挨拶を済ませて解散した。
車での帰路、全員が鹿部町の林間分譲地に立ち寄り、「ヤエガワカンバ(八重皮樺)」を観察した。この木は、本州では長野県や山梨県などの山地、北海道では十勝地方・北見地方などの限られた地域でしか確認されていない、環境省・準絶滅危惧種である。1995年に、ここでも発見された。日本で最も硬い木の一つとして知られる「オノオレカンバ(斧折樺)」よりも葉が小さく、同様に材が硬いため「コオノオレ(小斧折)」とも呼ばれる。
「ヤエガワ…」の名のとおり、幾重にも被さる皮に覆われた幹と、樹皮がボロボロになったような上部の枝を撮った。



ヤエガワカンバの場所を発って間もなく、やや強い雨が降り始めた。行動中は雨に降られず、まずまずの展望に恵まれた、楽しい山行であった。
鹿部町廃棄物処理場先の駐車場を9時ちょうどに出発。100m先を左に折れて、旧い林道に入る。

落葉樹林で見られた植生は、ツルリンドウ(実)、シラタマノキ(葉)、ベニバナイチヤクソウ(葉)。



落葉松林に代わったところで、砂原岳(1112.2m)と東円山が重なって見えた。
![旧い林道から砂原岳と東円山[手前] 旧い林道から砂原岳と東円山[手前]](http://img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20211212-E%E6%9D%B1%E5%86%86%E5%B1%B1k%E6%97%A7%E3%81%84%E6%9E%97%E9%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E7%A0%82%E5%8E%9F%E5%B2%B3%E3%81%A8%E6%9D%B1%E5%86%86%E5%B1%B1%5B%E6%89%8B%E5%89%8D%5Dk.jpg)
道端には、ホツツジの花殻、薄い緑色のミヤマハナゴケ(地衣類。極北地域ではトナカイやカリブーの重要な食物源になっているとのこと)、緑色でフカフカのスギゴケ(コケ類)。



木柵を越えて作業道に合流すると、正面に砂原岳を仰ぎながら進むようになる。

砂原岳のアップ。左を向いた横顔のゴリラが、少し上を向いて、何を見ているのだろうか。

更に進むと落葉松の背が低くなり、展望が広がってくる。火口丘の上に岩峰頂部が見えるはずの剣ヶ峯(1131m)は、今日は雲の中。

雪をまとった隅田盛(892.2m)は、どっしりと構えている。

C370付近で作業道を右に折れ、東円山を正面に見て涸れ沢を渡る。

わずかに残った雪面に、エゾシカの足跡。

最後の沢の砂防堰堤を過ぎたC380の土砂堆積広場から、標高差100mを直登するグループ10名と、頂上西のコルを経由するグループ13名に分かれた。こちらは直登組。

コル経由組は、旧い林道を上がっていく。

コルから右に折れて、最後にやや急な登りに掛かる。

地衣類のミヤマハナゴケから伸びている小さなキノコ状のものは、子器(しき:子嚢胞子[しのうほうし]をつくる器官)らしい。

砂原岳を背に、もう少しで頂上…。

11時ちょうど、直登組とコル経由組は、ほぼ同時に頂上到着(登り2時間)。恒例の全体写真を撮る。

頂上でしばらく展望を楽しむ。Yhさんの提案で撮った、ゴリラの「ほっこり」写真。

あいにく北側の内浦湾越しの山々は望めなかったが、南側は古部丸山から横津岳方面まで、何とか見通せた。

北海道駒ヶ岳三山の、左手に隅田盛。

中央に岩峰がちらっと見えた剣ヶ峯。

右手に砂原岳。

10分間の頂上滞在ののち、やや強い風を避けるためC380の土砂堆積広場に下がってランチタイムとした。

11時50分に下山再開。二つ目の涸れ沢は、バリエーション(?)として砂防堰堤の上を渡る。


途中から内浦湾越しに、室蘭市の白鳥大橋の橋脚と旧・JX日鉱日石エネルギー室蘭製造所の集合煙突が見えた。

駐車場に到着する少し前、旧い林道で見つけたツチグリ。

13時ちょうど、駐車場に到着(下り1時間25分[ランチタイムを除く])し、簡単に挨拶を済ませて解散した。
車での帰路、全員が鹿部町の林間分譲地に立ち寄り、「ヤエガワカンバ(八重皮樺)」を観察した。この木は、本州では長野県や山梨県などの山地、北海道では十勝地方・北見地方などの限られた地域でしか確認されていない、環境省・準絶滅危惧種である。1995年に、ここでも発見された。日本で最も硬い木の一つとして知られる「オノオレカンバ(斧折樺)」よりも葉が小さく、同様に材が硬いため「コオノオレ(小斧折)」とも呼ばれる。
「ヤエガワ…」の名のとおり、幾重にも被さる皮に覆われた幹と、樹皮がボロボロになったような上部の枝を撮った。



ヤエガワカンバの場所を発って間もなく、やや強い雨が降り始めた。行動中は雨に降られず、まずまずの展望に恵まれた、楽しい山行であった。
2021年12月06日
12月5日(日) 七飯岳
七飯岳(779.2m)は最近5年間、この時期(12月上・中旬)の定番となっている。積雪期の足慣らしに適度な積雪深と標高があり、ライオン岩のルンゼは軽アイゼンの具合を確かめるために都合が良い。参加は22名。
城岱スカイライン冬期ゲート下を8時11分に出発。弱い雪がちらつく空のもと、うっすら積もった雪を踏みながら林道を歩き始める。

しばらくして、右手の尾根に取り付く。

尾根に上がったところで衣服調整。気温は氷点下2~3℃だが風が弱いため、中間着を1枚脱ぐメンバーも。

尾根を上がっていくと、右の足元に採石場が見えてくる。岩を崩す、雷のような音が頻繁に聞こえる。

採石場の際を外れて、静かな樹林帯を進む。

再び採石場の上部に出ると、後方(南)に函館山と函館市街地が俯瞰できた。

西は大野平野の中に、北海道新幹線の新函館北斗駅(右)と函館総合車両基地(左)。

採石場から上がってくる旧い作業道を進む。七飯岳の頂部が見えてきた。

急な崖地を登って、樹林帯に入っていく。この手前で、軽アイゼンを装着した。

ナラ類などの広葉樹林帯を登っていく。積雪深は10センチ程度。

C600付近で、牧草地の一角に登り付く。この地点は、雪が多い年に雪庇が発達するが、今年は時期が未だ早いこともあって、30センチくらいの積雪であった。

牧草地を上がっていく。このあと頂上へは向かわず、C650付近から右(東)に伸びる旧い林道に入っていく。

林道の左手(山側)にある岩場から水が滲み出ているらしく、ツララが下がっていた。

その隣にある顕著な岩峰。

C700付近で旧い林道を離れ、左の植林帯に入っていく。

幾重もの植林帯をかいくぐって進む。積雪深は20センチ程度。

ライオン岩が見えてきた。

岩峰の間に開いたルンゼを登る。急傾斜だが、雪が付いていてステップをしっかり切ることができるので、軽アイゼンで安全に通過できた。



ライオン岩の上部から東を望む。正面やや左に見えるピークには、「ばんだい号事故慰霊碑」がある。

頂部の緩やかな稜線を、頂上(二等三角点、点名:七飯)に向かう。

11時30分、頂上に到着。恒例の全体写真を撮ってから、風の弱い広場に移ってランチタイムとした。

函館山の周りに陽が射し、海が黄金色に輝いていた。

頂上から北に、駒ヶ岳も見えてきた。

12時10分、下山を開始。チラついていた小雪がほぼ収まり、大野平野を眺めながら下っていく。

採石場の上部では、正面に函館山を望みながら歩を進める。

西の展望が開けてきた。山座同定を楽しむ。


13時46分、出発地点に到着して、下山を終了。簡単に挨拶を済ませて、現地で解散した。
平地の最高気温が2~3℃、小雪が舞う寒い一日であったが、風はそれほど強くなく展望もそこそこ得られた。この時期らしい天候で、本格的な冬山に向けて服装や装備を確かめる良い機会となった。
城岱スカイライン冬期ゲート下を8時11分に出発。弱い雪がちらつく空のもと、うっすら積もった雪を踏みながら林道を歩き始める。

しばらくして、右手の尾根に取り付く。

尾根に上がったところで衣服調整。気温は氷点下2~3℃だが風が弱いため、中間着を1枚脱ぐメンバーも。

尾根を上がっていくと、右の足元に採石場が見えてくる。岩を崩す、雷のような音が頻繁に聞こえる。

採石場の際を外れて、静かな樹林帯を進む。

再び採石場の上部に出ると、後方(南)に函館山と函館市街地が俯瞰できた。

西は大野平野の中に、北海道新幹線の新函館北斗駅(右)と函館総合車両基地(左)。

採石場から上がってくる旧い作業道を進む。七飯岳の頂部が見えてきた。

急な崖地を登って、樹林帯に入っていく。この手前で、軽アイゼンを装着した。

ナラ類などの広葉樹林帯を登っていく。積雪深は10センチ程度。

C600付近で、牧草地の一角に登り付く。この地点は、雪が多い年に雪庇が発達するが、今年は時期が未だ早いこともあって、30センチくらいの積雪であった。

牧草地を上がっていく。このあと頂上へは向かわず、C650付近から右(東)に伸びる旧い林道に入っていく。

林道の左手(山側)にある岩場から水が滲み出ているらしく、ツララが下がっていた。

その隣にある顕著な岩峰。

C700付近で旧い林道を離れ、左の植林帯に入っていく。

幾重もの植林帯をかいくぐって進む。積雪深は20センチ程度。

ライオン岩が見えてきた。

岩峰の間に開いたルンゼを登る。急傾斜だが、雪が付いていてステップをしっかり切ることができるので、軽アイゼンで安全に通過できた。



ライオン岩の上部から東を望む。正面やや左に見えるピークには、「ばんだい号事故慰霊碑」がある。

頂部の緩やかな稜線を、頂上(二等三角点、点名:七飯)に向かう。

11時30分、頂上に到着。恒例の全体写真を撮ってから、風の弱い広場に移ってランチタイムとした。

函館山の周りに陽が射し、海が黄金色に輝いていた。

頂上から北に、駒ヶ岳も見えてきた。

12時10分、下山を開始。チラついていた小雪がほぼ収まり、大野平野を眺めながら下っていく。

採石場の上部では、正面に函館山を望みながら歩を進める。

西の展望が開けてきた。山座同定を楽しむ。


13時46分、出発地点に到着して、下山を終了。簡単に挨拶を済ませて、現地で解散した。
平地の最高気温が2~3℃、小雪が舞う寒い一日であったが、風はそれほど強くなく展望もそこそこ得られた。この時期らしい天候で、本格的な冬山に向けて服装や装備を確かめる良い機会となった。
2021年12月02日
11月28日(日) 恵山(高原コース)
快晴の空の下、厚く積もった枯れ葉やうっすらと積もった雪を踏みしめながら、快適な登行ができた。頂上からは、南は下北半島や八甲田の山々、近くに亀田半島の山々、北に羊蹄山や樽前山まで、山座同定を楽しんだ。参加は17名。
【プロローグ】
この日は野田追岳を計画していたが、11月26日(金)に実施した下見登山で、笹の繁茂により多人数での歩行は困難と判断し、恵山・高原コースに変更した。下見時の様子を2枚。
磐石岳トンネルの北西出口から491.6m三角点ピークに向かう途中の笹薮の状況。

三つ目の512mピークまでも途中の笹の繁茂が激しいため、ここで前進をあきらめて下見を終える。かなり長い間、羆の足跡を「ラッセル泥棒」した。

【さて、本題】
旧・恵山町のホテル「恵山モンテローザ」跡の下にある駐車場を9時38分に出発。青空の下、ミズナラの落ち葉を踏みしめながら歩く。

急傾斜面のつづら折れ登山道を進む。南側斜面なので陽当たりが良く、少し汗ばむくらいであった。適宜に衣服を調整する。

C315の緩い峠にある、温泉パイプの中継貯蔵タンクを過ぎる。

緩く下がって、C300の湿地帯草原を進む。この手前の草原では、夏にトウゲブキの見事な群落を見ることができる。

海向山コースと合流し、気持ち良い枯れすすきの原を突っ切って、火口原駐車場へ向かう。

冬期閉鎖となった火口原駐車場から見上げた、荒々しい恵山の火口。

恵山の急な山体を巻くように付けられた登山道を進む。

日陰には、雪やあられがうっすらと積もっていた。文様や造形が面白い大きな岩塊がいくつも現れる。

権現堂コースの登りに入って、最初のヘアピンカーブから見上げた火口壁の上部。

登山道のところどころに、大きな落石が転がっている。

振り返ると、海向山から古部丸山、横津岳など、亀田半島の山々が見えた。

横津岳をズームアップで。頂上の航空路監視レーダーが見える。左手前に重なる袴腰岳、左端には三森山。

足元の、椴法華漁港沖合に設置された大謀網(だいぼうあみ)。形がイカのようで面白い。

登山道に火山ガスが流れてくると、気管が刺激される。マスクを着用するか、タオル・手ぬぐいで口と鼻を抑えると緩和される。

恵山には奇妙な形をした岩塊・岩峰が多い。これは「しゃちほこ」のよう。

やや急な登りを終え、C590付近から傾斜が緩やかな頂上台地になる。ここでの積雪深は2~3センチ。

12時15分、頂上に到着。

陽射しを正面から受けて、駒ヶ岳・横津岳を背景に恒例の全体写真を撮る。

冷たい北西風を避け、権現堂付近で沖合を通る船舶を眺めながらランチタイムとする。

この近くの頂上台地にも小さな噴気孔がいくつかあり、温かい湯気が噴き出ていた。

頂上付近から望んだ下北半島の山々。


津軽海峡を航行する多くの漁船が立てる航跡波(こうせきは)が、逆光で美しい。

頂上付近から見渡した亀田半島の山々もどうぞ。



南西方向の足元には、旧・恵山町中心部と、日浦岬方面に続く海岸線。

12時50分に下山を開始。恵山岬灯台の沖を、漁船が集団で航行していた。

椴法華漁港から出てきた起重機船。漁船の集団もこの船も、働く船の姿は美しく、見ていて楽しい。

北方向に、うっすらと羊蹄山や有珠山、昭和新山が見えた。写真には撮っていないが、もっと右(東)に見えた雲かと思う山は樽前山だったらしい。

火口原駐車場を過ぎ、「冬枯れ」を楽しみながら海向山方向に進む。この先で左に折れて、高原コースを下った。

14時56分、駐車場に到着して下山を終了。挨拶の後、解散した。
急遽変更した山行であったが、穏やかな晴天と展望に恵まれ、満足できる楽しいひと時を過ごすことができた。
【プロローグ】
この日は野田追岳を計画していたが、11月26日(金)に実施した下見登山で、笹の繁茂により多人数での歩行は困難と判断し、恵山・高原コースに変更した。下見時の様子を2枚。
磐石岳トンネルの北西出口から491.6m三角点ピークに向かう途中の笹薮の状況。

三つ目の512mピークまでも途中の笹の繁茂が激しいため、ここで前進をあきらめて下見を終える。かなり長い間、羆の足跡を「ラッセル泥棒」した。

【さて、本題】
旧・恵山町のホテル「恵山モンテローザ」跡の下にある駐車場を9時38分に出発。青空の下、ミズナラの落ち葉を踏みしめながら歩く。

急傾斜面のつづら折れ登山道を進む。南側斜面なので陽当たりが良く、少し汗ばむくらいであった。適宜に衣服を調整する。

C315の緩い峠にある、温泉パイプの中継貯蔵タンクを過ぎる。

緩く下がって、C300の湿地帯草原を進む。この手前の草原では、夏にトウゲブキの見事な群落を見ることができる。

海向山コースと合流し、気持ち良い枯れすすきの原を突っ切って、火口原駐車場へ向かう。

冬期閉鎖となった火口原駐車場から見上げた、荒々しい恵山の火口。

恵山の急な山体を巻くように付けられた登山道を進む。

日陰には、雪やあられがうっすらと積もっていた。文様や造形が面白い大きな岩塊がいくつも現れる。

権現堂コースの登りに入って、最初のヘアピンカーブから見上げた火口壁の上部。

登山道のところどころに、大きな落石が転がっている。

振り返ると、海向山から古部丸山、横津岳など、亀田半島の山々が見えた。

横津岳をズームアップで。頂上の航空路監視レーダーが見える。左手前に重なる袴腰岳、左端には三森山。

足元の、椴法華漁港沖合に設置された大謀網(だいぼうあみ)。形がイカのようで面白い。

登山道に火山ガスが流れてくると、気管が刺激される。マスクを着用するか、タオル・手ぬぐいで口と鼻を抑えると緩和される。

恵山には奇妙な形をした岩塊・岩峰が多い。これは「しゃちほこ」のよう。

やや急な登りを終え、C590付近から傾斜が緩やかな頂上台地になる。ここでの積雪深は2~3センチ。

12時15分、頂上に到着。

陽射しを正面から受けて、駒ヶ岳・横津岳を背景に恒例の全体写真を撮る。

冷たい北西風を避け、権現堂付近で沖合を通る船舶を眺めながらランチタイムとする。

この近くの頂上台地にも小さな噴気孔がいくつかあり、温かい湯気が噴き出ていた。

頂上付近から望んだ下北半島の山々。


津軽海峡を航行する多くの漁船が立てる航跡波(こうせきは)が、逆光で美しい。

頂上付近から見渡した亀田半島の山々もどうぞ。



南西方向の足元には、旧・恵山町中心部と、日浦岬方面に続く海岸線。

12時50分に下山を開始。恵山岬灯台の沖を、漁船が集団で航行していた。

椴法華漁港から出てきた起重機船。漁船の集団もこの船も、働く船の姿は美しく、見ていて楽しい。

北方向に、うっすらと羊蹄山や有珠山、昭和新山が見えた。写真には撮っていないが、もっと右(東)に見えた雲かと思う山は樽前山だったらしい。

火口原駐車場を過ぎ、「冬枯れ」を楽しみながら海向山方向に進む。この先で左に折れて、高原コースを下った。

14時56分、駐車場に到着して下山を終了。挨拶の後、解散した。
急遽変更した山行であったが、穏やかな晴天と展望に恵まれ、満足できる楽しいひと時を過ごすことができた。