2020年12月22日
12月20日(日) 庄司山(納会)
日本列島に超一級の寒気が流れ込んだ影響で、12月14日頃から函館市内でも降雪と低温、風のやや強い日が続いていた。前日の段階で、この日は寒気が少し緩む予想なので、日中は青空も覗くだろうと期待して、当クラブ恒例の庄司山(570.3m)納会山行を実施した。
ところが当日は、予想以上に青空と日照に恵まれて風も弱く、絶好の納会日和となった。参加は25名。
函館市桔梗町~亀田中野町の開拓地農道で、C195あたりから除雪されていない道に乗り入れて、C240の農道終点に駐車した。ここの積雪は15~20cm。函館山を望みながら、出発の準備をする。

会長の挨拶があって、9時40分に出発。蒜沢川左岸の通称「送電線コース」(「桔梗尾根コース」とも)を往復する。三角お握りが二個並んだような形の庄司山を正面に見ながら、今冬初めてスノーシューやかんじきを装着して進む(一部のメンバーは壷足)。

樹林帯を緩く登っていく。庄司山が近づいてきた。

出発から約40分で七飯町からの「蒜沢コース(蒜沢砂防ダムの下を渡る)」との三叉路(C330)に到着し、しばし休憩を取る。

この付近に「亀田村」標柱がある。1962年1月に町制施行で「亀田町」になるまで村として存在した。

このあと、つづら折れの登りに掛かる。AtさんとMkさんがこの先まで先頭に立ってラッセルしてくれた。

登山道の脇に、オヤマボクチ(雄山火口)のドライフラワー。

この先も積雪はあまり深くないが、先頭のラッセルを交替しながら登る。

C500で尾根の平坦部(2枚目の写真で本峰の右下に見える三角の頭)に出ると、東側斜面の樹木は一様に雪の綿帽子を被っていた。

頂上に向かう登山道の左側(西側斜面)の樹木に、綿帽子は付いていない。強い西風とやや湿った雪の成せる技か。

サルノコシカケのような綿帽子も。

C530付近の最後の登り。ここも左右で雪の付き方が異なる。後方には函館山と函館市街地、津軽海峡の景観が広がる。


11時25分、頂上に到着。しばらく展望を楽しむ。津軽海峡を背景にした函館山をズームで。
![頂上から函館山[ズーム] 頂上から函館山[ズーム]](//img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201220-N%E5%BA%84%E5%8F%B8%E5%B1%B1k%E9%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E5%87%BD%E9%A4%A8%E5%B1%B1%5B%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%A0%5Dk.jpg)
同じく湯川温泉のホテル街。
![頂上から湯川温泉街[ズーム] 頂上から湯川温泉街[ズーム]](//img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201220-O%E5%BA%84%E5%8F%B8%E5%B1%B1k%E9%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B9%AF%E5%B7%9D%E6%B8%A9%E6%B3%89%E8%A1%97%5B%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%A0%5Dk.jpg)
津軽海峡の上を、積雲が列を成して左へ流れていく。やや左の遠景は下北半島。

南東方向。雁皮山の南峰(743.3m、三等三角点「岩被山」)と立ち木の蔭に北峰(747m)、足元には結氷した新中野ダム湖。

頂上の三吉(みよし)神社前で全体集合写真を撮る。新しい山名標識が掛けられていた。


鳥居の奥に三吉神社の祠。無病息災を祈念した1.6mの「煙管(現在は分断)」と足の健康を祈念した30文(約70cm)の「鉄の草鞋」が奉納されている。


最近数年は頂上の三吉神社の前で参加メンバーが材料を持ち寄ってかぼちゃ入り汁粉を作り、アツアツをいただくのが大きな楽しみだったが、今年は新型コロナウイルス感染を警戒して汁粉作りは止めた。その代わり、23年前(1997年)の当クラブ創設時、当時から会員だったYhさんから、納会で庄司山を登るようになった経緯を紹介していただいた。
「当時、庄司山(地元ではオニギリ山と呼んでいた)には上まで登る登山道があって、頂上に『サンキチ神社(正しくはミヨシ神社)』があることを知った。ここには秋田市内に鎮座する山岳信仰の三吉神社総本宮(郊外の太平山頂上[1,170.4m]に奥宮あり)の守護神である三吉霊神(みよしのおおかみ=力、勝負、破邪顕正を司る神)が祀られており、昔、戦争に行った息子さんの安息を祈念した母親が、息災であるようにと煙管を、怪我なく歩けるようにと鉄の草鞋を祀ったとの由であった。これを聞いて、Yhさんと前会長Msさんが試行錯誤で登山道を探し、新中野ダム方面から登頂。以来、健康健脚で山を歩けるようにと、当クラブの納会を、この山で行っている。」とのことであった。
頂上から、北尾根の先にある大岩の祠を訪問した。

「不動明王」の扉を開けて参拝。

12時25分、下山にかかる。途中のつづら折れでは、樹林の間から函館山を見ながら下っていく。

13時20分、農道終点付近(C240)に到着して下山を終了。会長から「今年の山行も無事に終了することができた」との挨拶があった。
帰路の広域農道から函館山(334m)。

同じく、庄司山(右、570.3m)、袴腰岳(中、1,108.4m)、烏帽子岳(左、1,078m)。

今年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延により、月例会や会山行が大きな影響を受けた。感染されない意識だけでなく、「自分は無症状だが、感染しているかも知れない」という意識を持ち、山行中も自分のために、他の人のために、うつさない、うつらない行動に心掛けた年であった。
来年もCOVID-19が一気に収束するとは思えず、当面はこれまでの山行形態を維持することになるでしょうが、山で新鮮な空気と展望を心身に受ける喜びをかみしめましょう。皆さん、一層ご自愛ください。
昨年の庄司山納会の模様はこちらをどうぞ。
ところが当日は、予想以上に青空と日照に恵まれて風も弱く、絶好の納会日和となった。参加は25名。
函館市桔梗町~亀田中野町の開拓地農道で、C195あたりから除雪されていない道に乗り入れて、C240の農道終点に駐車した。ここの積雪は15~20cm。函館山を望みながら、出発の準備をする。

会長の挨拶があって、9時40分に出発。蒜沢川左岸の通称「送電線コース」(「桔梗尾根コース」とも)を往復する。三角お握りが二個並んだような形の庄司山を正面に見ながら、今冬初めてスノーシューやかんじきを装着して進む(一部のメンバーは壷足)。

樹林帯を緩く登っていく。庄司山が近づいてきた。

出発から約40分で七飯町からの「蒜沢コース(蒜沢砂防ダムの下を渡る)」との三叉路(C330)に到着し、しばし休憩を取る。

この付近に「亀田村」標柱がある。1962年1月に町制施行で「亀田町」になるまで村として存在した。

このあと、つづら折れの登りに掛かる。AtさんとMkさんがこの先まで先頭に立ってラッセルしてくれた。

登山道の脇に、オヤマボクチ(雄山火口)のドライフラワー。

この先も積雪はあまり深くないが、先頭のラッセルを交替しながら登る。

C500で尾根の平坦部(2枚目の写真で本峰の右下に見える三角の頭)に出ると、東側斜面の樹木は一様に雪の綿帽子を被っていた。

頂上に向かう登山道の左側(西側斜面)の樹木に、綿帽子は付いていない。強い西風とやや湿った雪の成せる技か。

サルノコシカケのような綿帽子も。

C530付近の最後の登り。ここも左右で雪の付き方が異なる。後方には函館山と函館市街地、津軽海峡の景観が広がる。


11時25分、頂上に到着。しばらく展望を楽しむ。津軽海峡を背景にした函館山をズームで。
![頂上から函館山[ズーム] 頂上から函館山[ズーム]](http://img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201220-N%E5%BA%84%E5%8F%B8%E5%B1%B1k%E9%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E5%87%BD%E9%A4%A8%E5%B1%B1%5B%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%A0%5Dk.jpg)
同じく湯川温泉のホテル街。
![頂上から湯川温泉街[ズーム] 頂上から湯川温泉街[ズーム]](http://img01.naturum.ne.jp/usr/s/a/n/sangakuclub2/20201220-O%E5%BA%84%E5%8F%B8%E5%B1%B1k%E9%A0%82%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B9%AF%E5%B7%9D%E6%B8%A9%E6%B3%89%E8%A1%97%5B%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%A0%5Dk.jpg)
津軽海峡の上を、積雲が列を成して左へ流れていく。やや左の遠景は下北半島。

南東方向。雁皮山の南峰(743.3m、三等三角点「岩被山」)と立ち木の蔭に北峰(747m)、足元には結氷した新中野ダム湖。

頂上の三吉(みよし)神社前で全体集合写真を撮る。新しい山名標識が掛けられていた。


鳥居の奥に三吉神社の祠。無病息災を祈念した1.6mの「煙管(現在は分断)」と足の健康を祈念した30文(約70cm)の「鉄の草鞋」が奉納されている。


最近数年は頂上の三吉神社の前で参加メンバーが材料を持ち寄ってかぼちゃ入り汁粉を作り、アツアツをいただくのが大きな楽しみだったが、今年は新型コロナウイルス感染を警戒して汁粉作りは止めた。その代わり、23年前(1997年)の当クラブ創設時、当時から会員だったYhさんから、納会で庄司山を登るようになった経緯を紹介していただいた。
「当時、庄司山(地元ではオニギリ山と呼んでいた)には上まで登る登山道があって、頂上に『サンキチ神社(正しくはミヨシ神社)』があることを知った。ここには秋田市内に鎮座する山岳信仰の三吉神社総本宮(郊外の太平山頂上[1,170.4m]に奥宮あり)の守護神である三吉霊神(みよしのおおかみ=力、勝負、破邪顕正を司る神)が祀られており、昔、戦争に行った息子さんの安息を祈念した母親が、息災であるようにと煙管を、怪我なく歩けるようにと鉄の草鞋を祀ったとの由であった。これを聞いて、Yhさんと前会長Msさんが試行錯誤で登山道を探し、新中野ダム方面から登頂。以来、健康健脚で山を歩けるようにと、当クラブの納会を、この山で行っている。」とのことであった。
頂上から、北尾根の先にある大岩の祠を訪問した。

「不動明王」の扉を開けて参拝。

12時25分、下山にかかる。途中のつづら折れでは、樹林の間から函館山を見ながら下っていく。

13時20分、農道終点付近(C240)に到着して下山を終了。会長から「今年の山行も無事に終了することができた」との挨拶があった。
帰路の広域農道から函館山(334m)。

同じく、庄司山(右、570.3m)、袴腰岳(中、1,108.4m)、烏帽子岳(左、1,078m)。

今年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延により、月例会や会山行が大きな影響を受けた。感染されない意識だけでなく、「自分は無症状だが、感染しているかも知れない」という意識を持ち、山行中も自分のために、他の人のために、うつさない、うつらない行動に心掛けた年であった。
来年もCOVID-19が一気に収束するとは思えず、当面はこれまでの山行形態を維持することになるでしょうが、山で新鮮な空気と展望を心身に受ける喜びをかみしめましょう。皆さん、一層ご自愛ください。
昨年の庄司山納会の模様はこちらをどうぞ。