2024年11月15日
11月13日(水) 峠下台場山
11月10日(日)の川汲台場山(491m)に続いて、箱館戦争(1868年[慶応4年/明治元年]~1869年[明治2年])時に旧幕府軍が築いた砲台場の遺構がある七飯町の通称「峠下台場山(345m)」を訪れた。頂上の台場跡を含め、作業林道と山道などを辿って、名残りの紅葉・黄葉や植生を楽しんだ。参加は14名。
国道5号線沿いの道の駅「なないろ・ななえ」に集合。車5台に乗り合わせて七飯発電所付近を北に上がる車道を辿り、JR函館本線(藤城回り)のガードを潜って標高点173の手前に縦列駐車した。この付近は意外と広い牧草地になっており、函館山がすっきりと見通せた。
標高点173付近から幅広い作業道を9時39分に出発。青空が広がって、気持ちが良い。樹林帯の中は、冷たい西風も弱めてくれる。
早速、鮮やかな紅葉が目に入ってきた。ハウチワカエデ(羽団扇楓)か。
ツチアケビ(土木通)の実が、未だ残っていた。
地面に散ったモミジ・カエデ類とカラマツの葉。
作業道から谷越えに、陽に照らされたカラマツ(落葉松)の黄葉が美しい。
こちらのカラマツの黄葉は、青空に映える。
定番のツルリンドウ(蔓竜胆)の赤い実。
幅広い作業道をのんびりと辿る。
途中で見かけた、この時期では貴重な緑の葉をいくつか。[左上]一枚葉はサイハイラン(采配蘭)、[右上]白いキノコとツルリンドウの葉、[左下]サワアザミ(沢薊)、矢印の先に小さな実?、[右下]サルメンエビネ(猿面海老根)の実(矢印の先)。
コウライテンナンショウ(高麗天南星)の熟した赤い実。葉もすっかり枯れていた。
峠下台場山の南西に位置する282峰をぐるっと回る作業道は、北側のコルを通る送電線保守用の刈り分け道をショートカットして距離を短縮する。
ショートカット道の上部から背後に、横津岳(1167m)頂上の航空路監視レーダードーム(右)と北海道開発局横津無線中継所(左)が見えた。
ほぼ同じ地点から、城岱牧場の放牧場と左奥に七飯岳(779.2m、二等三角点、点名:七飯)、その手前に鷹ノ巣(502.1m、三等三角点)。
ムラサキシキブ(紫式部)の実。
古峠に立つ特徴ある古木(風雪に耐えたミズナラ)から、背丈を越える笹が被った刈り分け道に入る。
刈り分け道の途中に、ブナ(橅)の大木が立っていた。
ここにも綺麗な紅葉が。
峠下台場山の頂上に向かう最後の登り。
作業林道と山道を巡って、11時38分に頂上到着。
頂上には箱館戦争時、榎本武揚率いる旧幕府軍がフランス人ブリューネの指導のもとに短期間(三日間とも)で造成したとされる砲台場の跡がある。台場の面積はさほど広くはないが七稜の星型を呈しており、砲台を据えるために造成したと考えられる明瞭なスロープが2か所にある。
頂上は冷たい風が吹き抜けていたが、周りを囲む防塁の陰に入り、暖かくしてランチタイムとした。食後に恒例の集合写真を撮る。
12時11分、頂上から東に向かうコースを使って下山を開始。下りてすぐの所から駒ヶ岳の剣ヶ峯(1131m)と右奥に砂原岳(1112.2m、一等三角点、点名も同じ)、眼下に小沼の展望が得られた。
途中にあった、ミズナラ(水楢)の大木と大きなサルノコシカケ。
山道から作業道に出ると、陽当たりの良い所に蔓性植物の実が目に付いた。こちらはマタタビ(木天蓼)の熟れた実。
ツルウメモドキ(蔓梅擬)の黄色く熟した実は晩秋に3つに裂け、真っ赤な仮種皮が現れる。
カラマツなど、黄葉の林の中を下っていく。
車を停めた標高点173付近に到着する手前で、逆光に紅葉が美しく輝いていた。
爽やかな青空の下、晩秋から初冬に入った気配を感じながら、ほぼ3時間をかけてゆったりと辿った。
峠下台場山の周辺には造林作業道、登山道、送電線保守用刈り分け道のほか、踏み分け程度の道、かつてはバスも通った旧い自動車道が輻輳していて、道迷いをしやすい。加えて今回は樹木伐採作業に道幅を大きく広げた箇所もあった。コースの情報を十分に得て、安全な散策を楽しんでいきたい。
【おまけの「お耳よごし」】
紅葉のベストシーズンは終わりましたが、以下の二曲を聴き比べてみて下さい。バッハ作曲の「ガヴォット」は紅葉と関係ありませんが、「まっかな秋」と出だしの旋律がそっくりなんです。
★日本の童謡「まっかな秋」(作詞:薩摩 忠、作曲:小林 英雄)(演奏時間:2分52秒)
こちらをクリック(タップ)。
★バロック音楽を代表するドイツの作曲家、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685年~1750年)作曲の管弦楽組曲第3番から第3曲「ガヴォット」(演奏時間:3分47秒)
こちらをクリック(タップ)。
国道5号線沿いの道の駅「なないろ・ななえ」に集合。車5台に乗り合わせて七飯発電所付近を北に上がる車道を辿り、JR函館本線(藤城回り)のガードを潜って標高点173の手前に縦列駐車した。この付近は意外と広い牧草地になっており、函館山がすっきりと見通せた。
標高点173付近から幅広い作業道を9時39分に出発。青空が広がって、気持ちが良い。樹林帯の中は、冷たい西風も弱めてくれる。
早速、鮮やかな紅葉が目に入ってきた。ハウチワカエデ(羽団扇楓)か。
ツチアケビ(土木通)の実が、未だ残っていた。
地面に散ったモミジ・カエデ類とカラマツの葉。
作業道から谷越えに、陽に照らされたカラマツ(落葉松)の黄葉が美しい。
こちらのカラマツの黄葉は、青空に映える。
定番のツルリンドウ(蔓竜胆)の赤い実。
幅広い作業道をのんびりと辿る。
途中で見かけた、この時期では貴重な緑の葉をいくつか。[左上]一枚葉はサイハイラン(采配蘭)、[右上]白いキノコとツルリンドウの葉、[左下]サワアザミ(沢薊)、矢印の先に小さな実?、[右下]サルメンエビネ(猿面海老根)の実(矢印の先)。
コウライテンナンショウ(高麗天南星)の熟した赤い実。葉もすっかり枯れていた。
峠下台場山の南西に位置する282峰をぐるっと回る作業道は、北側のコルを通る送電線保守用の刈り分け道をショートカットして距離を短縮する。
ショートカット道の上部から背後に、横津岳(1167m)頂上の航空路監視レーダードーム(右)と北海道開発局横津無線中継所(左)が見えた。
ほぼ同じ地点から、城岱牧場の放牧場と左奥に七飯岳(779.2m、二等三角点、点名:七飯)、その手前に鷹ノ巣(502.1m、三等三角点)。
ムラサキシキブ(紫式部)の実。
古峠に立つ特徴ある古木(風雪に耐えたミズナラ)から、背丈を越える笹が被った刈り分け道に入る。
刈り分け道の途中に、ブナ(橅)の大木が立っていた。
ここにも綺麗な紅葉が。
峠下台場山の頂上に向かう最後の登り。
作業林道と山道を巡って、11時38分に頂上到着。
頂上には箱館戦争時、榎本武揚率いる旧幕府軍がフランス人ブリューネの指導のもとに短期間(三日間とも)で造成したとされる砲台場の跡がある。台場の面積はさほど広くはないが七稜の星型を呈しており、砲台を据えるために造成したと考えられる明瞭なスロープが2か所にある。
頂上は冷たい風が吹き抜けていたが、周りを囲む防塁の陰に入り、暖かくしてランチタイムとした。食後に恒例の集合写真を撮る。
12時11分、頂上から東に向かうコースを使って下山を開始。下りてすぐの所から駒ヶ岳の剣ヶ峯(1131m)と右奥に砂原岳(1112.2m、一等三角点、点名も同じ)、眼下に小沼の展望が得られた。
途中にあった、ミズナラ(水楢)の大木と大きなサルノコシカケ。
山道から作業道に出ると、陽当たりの良い所に蔓性植物の実が目に付いた。こちらはマタタビ(木天蓼)の熟れた実。
ツルウメモドキ(蔓梅擬)の黄色く熟した実は晩秋に3つに裂け、真っ赤な仮種皮が現れる。
カラマツなど、黄葉の林の中を下っていく。
車を停めた標高点173付近に到着する手前で、逆光に紅葉が美しく輝いていた。
爽やかな青空の下、晩秋から初冬に入った気配を感じながら、ほぼ3時間をかけてゆったりと辿った。
峠下台場山の周辺には造林作業道、登山道、送電線保守用刈り分け道のほか、踏み分け程度の道、かつてはバスも通った旧い自動車道が輻輳していて、道迷いをしやすい。加えて今回は樹木伐採作業に道幅を大きく広げた箇所もあった。コースの情報を十分に得て、安全な散策を楽しんでいきたい。
【おまけの「お耳よごし」】
紅葉のベストシーズンは終わりましたが、以下の二曲を聴き比べてみて下さい。バッハ作曲の「ガヴォット」は紅葉と関係ありませんが、「まっかな秋」と出だしの旋律がそっくりなんです。
★日本の童謡「まっかな秋」(作詞:薩摩 忠、作曲:小林 英雄)(演奏時間:2分52秒)
こちらをクリック(タップ)。
★バロック音楽を代表するドイツの作曲家、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685年~1750年)作曲の管弦楽組曲第3番から第3曲「ガヴォット」(演奏時間:3分47秒)
こちらをクリック(タップ)。
2024年11月12日
11月10日 川汲台場山
川汲台場山はこれまで川汲公園からの周回コースやNTT管理道を利用した縦走コースを楽しんでいた。この数年は新川汲トンネル函館側の駐車場から尾根に取り付き,NTT管理道に出るルートを利用している。今回は登りにこのルートを利用し,下りは川汲川に下りる縦走を企画した。天気は曇りがちだったが途中から青空も見えた。参加者は16名。
9時前に出発。縦走ルートのなかで最も急な登りが最初にあるので,補助にロープを2本張った。
お目当ての紅葉が先ず一か所見られた。
9時20分にNTT管理道に出た。ここで少し休憩。林道を歩いて10時に川汲峠到着。ここから15分ほどで頂上に着いた。かなり早いが食事にした。食後全体写真を撮って下山に入った。
下り始めてすぐきれいなスギゴケを発見。花がないので新鮮に見えた。
下りはアップダウンがあってかなり急なところもあり,気を付けて下りる。
平坦な尾根道は日が差すととても美しく,気持ちがいい。
その気持ちのいい道を歩く面々。
見事な紅葉は下山ではなかなか無かったが,やっと鮮やかなものが現れた。
12時45分頃川汲川まで下りて来た。ここの徒渉は滑るのでゆっくり慎重に渉る。今回はだれも転ばなかった。
川汲温泉脇には見事なムラサキシキブが見られた。
13時過ぎに川汲公園到着。帰り支度の後,挨拶を済ませ解散した。
みなさん落ち葉を漕ぎながら晩秋の山を楽しむことができたと思う。
9時前に出発。縦走ルートのなかで最も急な登りが最初にあるので,補助にロープを2本張った。
お目当ての紅葉が先ず一か所見られた。
9時20分にNTT管理道に出た。ここで少し休憩。林道を歩いて10時に川汲峠到着。ここから15分ほどで頂上に着いた。かなり早いが食事にした。食後全体写真を撮って下山に入った。
下り始めてすぐきれいなスギゴケを発見。花がないので新鮮に見えた。
下りはアップダウンがあってかなり急なところもあり,気を付けて下りる。
平坦な尾根道は日が差すととても美しく,気持ちがいい。
その気持ちのいい道を歩く面々。
見事な紅葉は下山ではなかなか無かったが,やっと鮮やかなものが現れた。
12時45分頃川汲川まで下りて来た。ここの徒渉は滑るのでゆっくり慎重に渉る。今回はだれも転ばなかった。
川汲温泉脇には見事なムラサキシキブが見られた。
13時過ぎに川汲公園到着。帰り支度の後,挨拶を済ませ解散した。
みなさん落ち葉を漕ぎながら晩秋の山を楽しむことができたと思う。
2024年11月06日
11月3日(日) 昆布岳
ニセコ連峰の南、豊浦町(胆振地方)とニセコ町(後志地方)の町境に、特徴的な頂部を突き出した姿で聳える昆布岳(1044.9m)を訪れて、晩秋の山を楽しんだ。参加は3名。
豊浦町上泉地区にある道道「新富上里線」脇の登山口駐車場には、すでに4台の車が停まっていた(すべて札幌ナンバー)。駐車場の一角はカラマツ(落葉松)の林になっており、陽に照らされて黄金色に輝いていた。
身支度をして8時20分に登山を開始。登山口は農家納屋の横を入っていく。立派な看板標識が立っている。
登山道は車でも十分入れるほどの広さで、林道を歩いているよう(旧い造材道が利用されている)。すぐに倒木が道路を塞いでいたが、これは車を進入をさせないための処置だと気付いた。一合目の標識が、カラマツの幹に付いていた。
登山道は笹がきれいに刈り払われていたが、登山道の周囲の笹は枯れていた。今年は各地で笹の花が咲いたので、その後に枯れたのだろう。四合目付近から、登山道はきれいな白樺の林の中を進んでいく。
五合目手前から頂上を望む。
登山道の脇に立つナナカマド(七竈)の赤い実。
五合目を過ぎると右手に「メガネ岩」があったが、崩落の危険があるため立ち入り禁止で、くぐることはできなかった。
九合目の急登。
九合目から頂上(右端)を望む。登山道はこのように、立派に整備されている。
登山道で見かけた植生は先ず、エゾニュウ(蝦夷にゅう)か何かの名残り。
この時期定番の、ツルリンドウ(蔓竜胆)の綺麗な実。
エゾノコンギク(蝦夷野紺菊)の名残り花。
フユノハナワラビ(冬の花蕨)は秋に葉を出してそのまま冬を越し、初夏に地上部が枯れる。このような生活は、シダ類では珍しいという。
11時、頂上に到着。ゆっくり食事をして、景色を楽しんだ。
三十数年前に登山道を整備したという地元の登山者に、写真を撮っていただいた。「今考えると頂上直下の急登は真っすぐにしないで、もう少し緩やかに整備すればよかったと、年齢を重ねてから感じる」とのことであった。私たちは「こんな立派な登山道は他にないのでは」と返事をし、「感謝しながら下山します」と伝えた。
道南方面の山は雲で望めなかったが、北、東、西方向の近場の景観が得られた。先ず、北方向にニセコの山々を望む。
南東方向に、洞爺湖とオロフレ山、徳舜瞥山・ホロホロ山など。
南西方向には、昆布岳と尾根続きの944峰。
頂上でゆっくりして、11時45分に下山を開始。下山を始めて30分後に雨が降り始めた。登りの九合目を過ぎたあたりで「あられ」に見舞われ、その時から雨具上下を着たままでいた。おかげで小1時間ほど小雨が降り続いたものの、何の影響もなく下山できた。登山口には13時30分到着。
車での復路、豊浦温泉に入って汗を流し、暗くなり始めた17時15分、七飯町の集合場所(出発地点)に到着して解散した。
雲が多くて西の風がやや強く、肌寒い天気であったが、雨の影響はほとんどなかった。頂上から晩秋の展望を楽しむことができて、充実した山行であった。
【おまけ】帰りに立ち寄った豊浦町のインディアン水車。貫気別川に遡上する鮭を捕獲するための施設で、北海道には千歳市や標津町などにある。
豊浦町上泉地区にある道道「新富上里線」脇の登山口駐車場には、すでに4台の車が停まっていた(すべて札幌ナンバー)。駐車場の一角はカラマツ(落葉松)の林になっており、陽に照らされて黄金色に輝いていた。
身支度をして8時20分に登山を開始。登山口は農家納屋の横を入っていく。立派な看板標識が立っている。
登山道は車でも十分入れるほどの広さで、林道を歩いているよう(旧い造材道が利用されている)。すぐに倒木が道路を塞いでいたが、これは車を進入をさせないための処置だと気付いた。一合目の標識が、カラマツの幹に付いていた。
登山道は笹がきれいに刈り払われていたが、登山道の周囲の笹は枯れていた。今年は各地で笹の花が咲いたので、その後に枯れたのだろう。四合目付近から、登山道はきれいな白樺の林の中を進んでいく。
五合目手前から頂上を望む。
登山道の脇に立つナナカマド(七竈)の赤い実。
五合目を過ぎると右手に「メガネ岩」があったが、崩落の危険があるため立ち入り禁止で、くぐることはできなかった。
九合目の急登。
九合目から頂上(右端)を望む。登山道はこのように、立派に整備されている。
登山道で見かけた植生は先ず、エゾニュウ(蝦夷にゅう)か何かの名残り。
この時期定番の、ツルリンドウ(蔓竜胆)の綺麗な実。
エゾノコンギク(蝦夷野紺菊)の名残り花。
フユノハナワラビ(冬の花蕨)は秋に葉を出してそのまま冬を越し、初夏に地上部が枯れる。このような生活は、シダ類では珍しいという。
11時、頂上に到着。ゆっくり食事をして、景色を楽しんだ。
三十数年前に登山道を整備したという地元の登山者に、写真を撮っていただいた。「今考えると頂上直下の急登は真っすぐにしないで、もう少し緩やかに整備すればよかったと、年齢を重ねてから感じる」とのことであった。私たちは「こんな立派な登山道は他にないのでは」と返事をし、「感謝しながら下山します」と伝えた。
道南方面の山は雲で望めなかったが、北、東、西方向の近場の景観が得られた。先ず、北方向にニセコの山々を望む。
南東方向に、洞爺湖とオロフレ山、徳舜瞥山・ホロホロ山など。
南西方向には、昆布岳と尾根続きの944峰。
頂上でゆっくりして、11時45分に下山を開始。下山を始めて30分後に雨が降り始めた。登りの九合目を過ぎたあたりで「あられ」に見舞われ、その時から雨具上下を着たままでいた。おかげで小1時間ほど小雨が降り続いたものの、何の影響もなく下山できた。登山口には13時30分到着。
車での復路、豊浦温泉に入って汗を流し、暗くなり始めた17時15分、七飯町の集合場所(出発地点)に到着して解散した。
雲が多くて西の風がやや強く、肌寒い天気であったが、雨の影響はほとんどなかった。頂上から晩秋の展望を楽しむことができて、充実した山行であった。
【おまけ】帰りに立ち寄った豊浦町のインディアン水車。貫気別川に遡上する鮭を捕獲するための施設で、北海道には千歳市や標津町などにある。
2024年10月29日
10月27日(日) 当別丸山(南尾根コース~修道院コース)
北斗市三ツ石地区にあるトラピスト修道院の背後にある丸山(482.3m、一等三角点、点名:当別丸山)は、「修道院コース」登山道を往復するのが一般的だが、今回は2020年11月に会山行で初めてトレースした南尾根を利用して登った。参加は16名。
南尾根コースは三ツ石地区の西端、「ギャラリー日の丘」の前を通る道路を北に上がった標高点82にある水道設備らしい建物の横から入る。下山する修道院裏の駐車場に車1台をデポし、この建物の傍に4台を停めた。入り口は背の高いススキに覆われていた。9時50分に出発。
牧草地の東縁に植えられた針葉樹防風林の下、藪で歩きづらい道を辿っていく。出発から20分弱で広葉樹の林になり、ブナの大樹が現れた。
旧い道は針葉樹の植林帯に入って左に斜上し、前方からくる別の旧い作業道に合流して右(東方向)に緩く上がっていく。
旧い作業道は沢地形を右に回るとノイバラがある藪になり、少し先の小さい尾根に取り付く(C150付近)。始めは背丈ほどの笹薮だが密ではなく、踏み跡も分かる。
ここから頂上まで、水平距離は約1000m、標高差は約330mなので、平均斜度は約20度と、やや急な登りになる。
尾根の下部では、モミジ・カエデ類の葉は、黄色が多かった。
やや急な斜面を15分ほど登り、傾斜が緩まったポイントでひと休み。
ここまでに見かけた植生。[左上]モミジガサ(紅葉笠・紅葉傘)の実(綿毛)、[右上]旧い作業道にあったツルリンドウ(蔓竜胆)の赤い実、[左下]君の名は?、[右下]イチヤクソウ(一薬草)の葉。
笹の背丈が低くなり、黄色に染まった尾根を気持ち良く登る。
モミジ・カエデ類の紅葉も現れてきた。ハウチワカエデ(羽団扇楓)か。曇り空ではあるが、鮮やかに映える。
C290付近から、旧・上磯町(現・北斗市)と木古内町の境界を進む。コンクリート製の市町境標識を見かけた。側面に梅文様の窪みが付いているが、何の記号だろうか。
C290からC400までの間は、このコースで最も急な登りになる。
東斜面の紅葉。
藪を漕ぎながら登る。前方の空間が広がってくると、修道院コースとの出合いは近い。
頂上から50mほど手前で修道院コースの登山道に出て、広く刈り払われた頂上に到着(11時58分)。ランチタイムとする。
恒例の全体集合写真を撮る。3枚掲載したのは、ちょっとしたストーリーが…(^_^;)。
頂上には一等三角点(点名:当別丸山、1954年(昭和29年)7月15日選点)が設けられ、すぐ近くに台上部に指標鋲、側面に「第七号天測点 地理調査所」の銘板が取り付けられたコンクリート製の四角柱台座が残されている。
天測点とは、三角測量で求められた位置座標を規正するため、一等三角点のすぐそばに設けられた基準点である。台座に重い観測機材を据えて天文測量が行われた。全国48か所(北海道内8か所)で1954年(昭和29年)から観測がされたが、その後は機材の軽量化により天測点を設置することはなくなったという。道南では、長万部町・黒松内町境の写万部山(499.1m、一等三角点、点名も写万部山)に「第六号天測点」の四角柱台座がある。
天測点から真北あるいは真南へ数km以上離れた場所には、測量機材を正確な方位に設置するため子午線標という目印の石柱がペアで設置されている。当別丸山の子午線標は、真北に約6.5km離れた鏡山の西、標高142mあたりにあるらしい。
12時31分、修道院コースの下山を開始。藪漕ぎの南尾根コースに比べれば一級国道と言える登山道だが、落ち葉で滑りやすいため、ゆっくり慎重に。
ハウチワカエデ(羽団扇楓)の葉のグラデーション。
下りで見かけた植生。[左上]ユズリハ(譲葉)の実は毒成分があって食べられない、[右上]サルノコシカケ類の古参と新人、[左下]ツチアケビ(土木通)の名残りの果実、[右下]この時期でも鮮やかな緑色のツルリンドウ(蔓竜胆)の葉。
展望台からトラピスト修道院の全景を俯瞰する。
葛登支岬灯台(かっとしみさきとうだい)の上部も見えた(矢印の先)。この灯台は北海道で4番目に古く、道南では最初に建てられた。
「ルルドの洞窟」があるモルタル壁面のマリア像と紅葉した蔦。
ムラサキシキブ(紫式部)の紫色の実。その美しさを、紫式部になぞらえたという。
「ルルドの洞窟」の前から函館山を望む。ピークが13ある。
修道院に下がる舗装道で見かけた綺麗な黄葉・紅葉。
牧草地の脇にあるシラカバとナナカマドの並木道が美しい。
晩秋の植生。[左上]エゾゴマナ(蝦夷胡麻菜)の名残り花、[右上]コウライテンナンショウ(高麗天南星)の大きな赤い実、[左下]オオウバユリ(大姥百合)の実殻、[右下]カエデ類の翼果。
南尾根コースの入り口まで車を回収に行く間、残りのメンバーは修道院売店前の駐車場に移動して待機した(14時4分)。休憩コーナーのテーブルに積み上げられたザックの山。
売店で購入した今年最後(「最初」というメンバーも)のソフトクリームをいただく。
全員が揃った駐車場で解散し、安全速度を守って帰宅の途に就いた。
登り慣れた山でも、コースを変えれば新しい発見があって面白い。南尾根コースの登りは2時間程度の所要時間だが、市町境標識の発見や傾斜の緩急変化があって、まずまずの面白さであった。
この秋は気温が高く、最高・最低の気温差が小さいためか、紅葉・黄葉はいまひとつ、鮮やかさに欠ける。それでも全体に黄色に染まった尾根で、ときどき現れる紅葉が美しかった。
南尾根コースは三ツ石地区の西端、「ギャラリー日の丘」の前を通る道路を北に上がった標高点82にある水道設備らしい建物の横から入る。下山する修道院裏の駐車場に車1台をデポし、この建物の傍に4台を停めた。入り口は背の高いススキに覆われていた。9時50分に出発。
牧草地の東縁に植えられた針葉樹防風林の下、藪で歩きづらい道を辿っていく。出発から20分弱で広葉樹の林になり、ブナの大樹が現れた。
旧い道は針葉樹の植林帯に入って左に斜上し、前方からくる別の旧い作業道に合流して右(東方向)に緩く上がっていく。
旧い作業道は沢地形を右に回るとノイバラがある藪になり、少し先の小さい尾根に取り付く(C150付近)。始めは背丈ほどの笹薮だが密ではなく、踏み跡も分かる。
ここから頂上まで、水平距離は約1000m、標高差は約330mなので、平均斜度は約20度と、やや急な登りになる。
尾根の下部では、モミジ・カエデ類の葉は、黄色が多かった。
やや急な斜面を15分ほど登り、傾斜が緩まったポイントでひと休み。
ここまでに見かけた植生。[左上]モミジガサ(紅葉笠・紅葉傘)の実(綿毛)、[右上]旧い作業道にあったツルリンドウ(蔓竜胆)の赤い実、[左下]君の名は?、[右下]イチヤクソウ(一薬草)の葉。
笹の背丈が低くなり、黄色に染まった尾根を気持ち良く登る。
モミジ・カエデ類の紅葉も現れてきた。ハウチワカエデ(羽団扇楓)か。曇り空ではあるが、鮮やかに映える。
C290付近から、旧・上磯町(現・北斗市)と木古内町の境界を進む。コンクリート製の市町境標識を見かけた。側面に梅文様の窪みが付いているが、何の記号だろうか。
C290からC400までの間は、このコースで最も急な登りになる。
東斜面の紅葉。
藪を漕ぎながら登る。前方の空間が広がってくると、修道院コースとの出合いは近い。
頂上から50mほど手前で修道院コースの登山道に出て、広く刈り払われた頂上に到着(11時58分)。ランチタイムとする。
恒例の全体集合写真を撮る。3枚掲載したのは、ちょっとしたストーリーが…(^_^;)。
頂上には一等三角点(点名:当別丸山、1954年(昭和29年)7月15日選点)が設けられ、すぐ近くに台上部に指標鋲、側面に「第七号天測点 地理調査所」の銘板が取り付けられたコンクリート製の四角柱台座が残されている。
天測点とは、三角測量で求められた位置座標を規正するため、一等三角点のすぐそばに設けられた基準点である。台座に重い観測機材を据えて天文測量が行われた。全国48か所(北海道内8か所)で1954年(昭和29年)から観測がされたが、その後は機材の軽量化により天測点を設置することはなくなったという。道南では、長万部町・黒松内町境の写万部山(499.1m、一等三角点、点名も写万部山)に「第六号天測点」の四角柱台座がある。
天測点から真北あるいは真南へ数km以上離れた場所には、測量機材を正確な方位に設置するため子午線標という目印の石柱がペアで設置されている。当別丸山の子午線標は、真北に約6.5km離れた鏡山の西、標高142mあたりにあるらしい。
12時31分、修道院コースの下山を開始。藪漕ぎの南尾根コースに比べれば一級国道と言える登山道だが、落ち葉で滑りやすいため、ゆっくり慎重に。
ハウチワカエデ(羽団扇楓)の葉のグラデーション。
下りで見かけた植生。[左上]ユズリハ(譲葉)の実は毒成分があって食べられない、[右上]サルノコシカケ類の古参と新人、[左下]ツチアケビ(土木通)の名残りの果実、[右下]この時期でも鮮やかな緑色のツルリンドウ(蔓竜胆)の葉。
展望台からトラピスト修道院の全景を俯瞰する。
葛登支岬灯台(かっとしみさきとうだい)の上部も見えた(矢印の先)。この灯台は北海道で4番目に古く、道南では最初に建てられた。
「ルルドの洞窟」があるモルタル壁面のマリア像と紅葉した蔦。
ムラサキシキブ(紫式部)の紫色の実。その美しさを、紫式部になぞらえたという。
「ルルドの洞窟」の前から函館山を望む。ピークが13ある。
修道院に下がる舗装道で見かけた綺麗な黄葉・紅葉。
牧草地の脇にあるシラカバとナナカマドの並木道が美しい。
晩秋の植生。[左上]エゾゴマナ(蝦夷胡麻菜)の名残り花、[右上]コウライテンナンショウ(高麗天南星)の大きな赤い実、[左下]オオウバユリ(大姥百合)の実殻、[右下]カエデ類の翼果。
南尾根コースの入り口まで車を回収に行く間、残りのメンバーは修道院売店前の駐車場に移動して待機した(14時4分)。休憩コーナーのテーブルに積み上げられたザックの山。
売店で購入した今年最後(「最初」というメンバーも)のソフトクリームをいただく。
全員が揃った駐車場で解散し、安全速度を守って帰宅の途に就いた。
登り慣れた山でも、コースを変えれば新しい発見があって面白い。南尾根コースの登りは2時間程度の所要時間だが、市町境標識の発見や傾斜の緩急変化があって、まずまずの面白さであった。
この秋は気温が高く、最高・最低の気温差が小さいためか、紅葉・黄葉はいまひとつ、鮮やかさに欠ける。それでも全体に黄色に染まった尾根で、ときどき現れる紅葉が美しかった。
2024年10月26日
10月24日(木) 恵山外輪周回
恵山の火口原駐車場を出発し、海向山・周遊コースから恵山・八幡川コースをつなぎ、恵山外輪の一角を成す461峰を訪れて、下った賽の河原から駐車場に戻るという時計回りの行程で、植生観察と紅葉鑑賞、展望を楽しんだ。参加は23名。
前日にまとまった雨を降らせた低気圧がオホーツク海に進み、天気は回復したが、西風がやや強く肌寒かった。火口原駐車場で、Amさんにリードを頼んでストレッチ体操を行い、身体をほぐした。
駐車場の北、この後に左から登る461峰を見上げる。
駐車場の東、サラサドウダン(更紗灯台・更紗満天星)の紅葉越しに、噴煙を上げる恵山火口。
9時44分、海向山の周遊コースに向けて駐車場を出発。前方の山は、右から海向山(569.4m)、456峰、410峰。このコースは、4日前(10月20日)にも辿っているが、紅葉が一段と進んでいた。
旧「ホテル・モンテローザ」付近から上がる高原コースの終点であるC300草原と、トウゲブキ(峠蕗)の実(綿毛)。
駐車場から800m(15分)ほど進んだところで右折し、八幡川に向かって広葉樹林内のほぼ平坦な道を進む。
20分弱で八幡川上流の沢を渡り、対岸のやや急な斜面を登る。この上で、恵山に向かう八幡川コースの登山道に出合う。
この斜面に、綺麗な赤い実を付けたアオハダ(青膚・青肌)の木があった(樹木などの植生に詳しいWtさんの解説による)。この木の和名は、外皮が爪で容易に剥がれ、緑色の内皮が見えることから。モチノキ科モチノキ属の落葉高木で、北海道から九州の山地の落葉樹林内に生える。
八幡川コースの登山道を登る。始めは広葉樹林の中。
恵山の代表的な植生の一つである、エゾイソツツジ(蝦夷磯躑躅)の蕾。北海道の固有種で、正式な和名はイソツツジ(磯躑躅)だが、エゾツツジと言うところを誤って伝えられたのではないかと言われている。だから、磯(海岸)ではなく、山の岩礫地や火山灰地に自生しているのも道理。恵山では5月半ばから7月、可愛らしい小さな白い花が多数集まって球状に咲く。
来年の開花に向けて蕾を準備している。八幡川コースの下部では葉が広く蕾の径も大きいが、上がるにつれて葉の面積と蕾の径が小さくなっているように感じた。掲載画像は[左上]→[右上]→[左下]→[右下]へ、撮影地点の標高順(低いところから高いところ)に並べた。
八幡川コース登山道の上部は樹林を抜け、草付き斜面に代わってきた。頭上にC430尾根のスカイラインが見える。
この登りで見かけた植生。[左上]二十四節気の「霜降(そうこう)」を過ぎたのに、何とツルリンドウ(蔓竜胆)の花と蕾があった、[右上]少し色付いたネバリノギラン(粘芒蘭)の葉、[左下]光沢があるイワカガミ(岩鏡)の葉も赤くなってきた、[右下]名前不明のキノコ。
尾根に上がる手前から、後方(西南西方向)の右に海向山、左に456峰を望む。ともに4日前、頂上を踏んだ。
同じく、北西方向に通称・古部丸山(右、691.0m、一等三角点、点名:古部岳)と頂部が平坦な572.1峰(中央、三等三角点、点名:平ケ岳)。
海向山の右の遠くに、三森山(842.1m、三等三角点、点名も三森山)が見えた。
南東方向には、これから向かう461峰。
紅葉。
ここのイワカガミの葉はまだ緑色で、名前のとおり鏡のように光っていた。
光沢があるツルリンドウの赤い実。今の時期は、これが正しい。
もうすぐ461峰の肩に上がろうかという地点で、振り向いてポーズ。
461峰の肩に上がると、前方の展望が開けた。サラサドウダンの紅葉やナナカマド(七竈)の赤い実がある林の向こうに、太平洋が広がっていた。
461峰の頂上へは、肩の分岐から踏み跡を50mほど進む。アカミノイヌツゲ(赤実の犬柘植)が実を付けていた。黒い実を付けるイヌツゲもあるという。果実は食用にならないが、動物は食べるらしい。
461峰の頂上は、恵山の絶好の展望台。足元の火口原(賽の河原)も一望できる。
恵山を入れて、全体集合写真を撮る(一人足りないようだが…はて?)。
461峰を後にして、八幡川コースを下がる。前方に、戦後に建設された米軍レーダー監視所と関連建物の跡地が見える。
ハナヒリノキ(嚏の木)の紅葉。ハナヒリとはクシャミの意味で、葉の臭いがクシャミを誘うことから。
米軍レーダー監視所の跡地。長方形のコンクリート基礎と土台柱が残っている。この傍にある、庁舎または宿舎が建っていたと思われるコンクリート平面(2面)で、35分間のランチタイムとする。
サンドイッチに挟んだジャムの香りに誘われたか、クロスズメバチが寄ってきた。土の中に営巣し(地蜂と呼ばれる)、スズメバチ科の中ではおとなしく毒も強くないが、刺激を加えると攻撃されることもあるため、手で追い払わずにやり過ごす。
食後、賽の河原に向かって八幡川コースを下がっていく。椴法華漁港の沖に、回遊魚を捕獲する大謀網(だいぼうあみ)が設置されている。函館市東北部の旧南茅部町では、天保10年(西暦1839年)から北海道で最初にこの漁法を始めたという。尾札部町地区の黒鷲岬には、大謀網漁業の発祥の地であることを示す石碑が建っている。
ちなみに、1ヶ統の定置網を敷設する費用は3億円、大規模なものになると5~7億円かかると言う。
この前後で見かけた花。[左上]エゾヒメクワガタ(蝦夷姫鍬形)の花は直径約1cm、[右上]エゾオヤマリンドウ(蝦夷御山竜胆)の花が終わりに近づくと初雪はもうすぐ、[左下]エゾイソツツジの二度咲き、[右下]清楚なノコンギク(野紺菊)。
正面に恵山が近づき、八幡川コースの下りも間もなく終わる。
恵山の上部に立つ奇岩峰をズームアップで。
海向山を眺めながら、賽の河原を火口原駐車場に向かう。
駐車場の手前で、石仏が迎えてくれた。
所要時間3時間5分(食事時間を含む)のハイクで、紅葉と植物観察、好展望など、晩秋の半日をゆったりと楽しんだ。マイナーな存在の461峰の頂上を初めて踏んだメンバーもいて、短時間ながら内容の濃い行程であった。
前日にまとまった雨を降らせた低気圧がオホーツク海に進み、天気は回復したが、西風がやや強く肌寒かった。火口原駐車場で、Amさんにリードを頼んでストレッチ体操を行い、身体をほぐした。
駐車場の北、この後に左から登る461峰を見上げる。
駐車場の東、サラサドウダン(更紗灯台・更紗満天星)の紅葉越しに、噴煙を上げる恵山火口。
9時44分、海向山の周遊コースに向けて駐車場を出発。前方の山は、右から海向山(569.4m)、456峰、410峰。このコースは、4日前(10月20日)にも辿っているが、紅葉が一段と進んでいた。
旧「ホテル・モンテローザ」付近から上がる高原コースの終点であるC300草原と、トウゲブキ(峠蕗)の実(綿毛)。
駐車場から800m(15分)ほど進んだところで右折し、八幡川に向かって広葉樹林内のほぼ平坦な道を進む。
20分弱で八幡川上流の沢を渡り、対岸のやや急な斜面を登る。この上で、恵山に向かう八幡川コースの登山道に出合う。
この斜面に、綺麗な赤い実を付けたアオハダ(青膚・青肌)の木があった(樹木などの植生に詳しいWtさんの解説による)。この木の和名は、外皮が爪で容易に剥がれ、緑色の内皮が見えることから。モチノキ科モチノキ属の落葉高木で、北海道から九州の山地の落葉樹林内に生える。
八幡川コースの登山道を登る。始めは広葉樹林の中。
恵山の代表的な植生の一つである、エゾイソツツジ(蝦夷磯躑躅)の蕾。北海道の固有種で、正式な和名はイソツツジ(磯躑躅)だが、エゾツツジと言うところを誤って伝えられたのではないかと言われている。だから、磯(海岸)ではなく、山の岩礫地や火山灰地に自生しているのも道理。恵山では5月半ばから7月、可愛らしい小さな白い花が多数集まって球状に咲く。
来年の開花に向けて蕾を準備している。八幡川コースの下部では葉が広く蕾の径も大きいが、上がるにつれて葉の面積と蕾の径が小さくなっているように感じた。掲載画像は[左上]→[右上]→[左下]→[右下]へ、撮影地点の標高順(低いところから高いところ)に並べた。
八幡川コース登山道の上部は樹林を抜け、草付き斜面に代わってきた。頭上にC430尾根のスカイラインが見える。
この登りで見かけた植生。[左上]二十四節気の「霜降(そうこう)」を過ぎたのに、何とツルリンドウ(蔓竜胆)の花と蕾があった、[右上]少し色付いたネバリノギラン(粘芒蘭)の葉、[左下]光沢があるイワカガミ(岩鏡)の葉も赤くなってきた、[右下]名前不明のキノコ。
尾根に上がる手前から、後方(西南西方向)の右に海向山、左に456峰を望む。ともに4日前、頂上を踏んだ。
同じく、北西方向に通称・古部丸山(右、691.0m、一等三角点、点名:古部岳)と頂部が平坦な572.1峰(中央、三等三角点、点名:平ケ岳)。
海向山の右の遠くに、三森山(842.1m、三等三角点、点名も三森山)が見えた。
南東方向には、これから向かう461峰。
紅葉。
ここのイワカガミの葉はまだ緑色で、名前のとおり鏡のように光っていた。
光沢があるツルリンドウの赤い実。今の時期は、これが正しい。
もうすぐ461峰の肩に上がろうかという地点で、振り向いてポーズ。
461峰の肩に上がると、前方の展望が開けた。サラサドウダンの紅葉やナナカマド(七竈)の赤い実がある林の向こうに、太平洋が広がっていた。
461峰の頂上へは、肩の分岐から踏み跡を50mほど進む。アカミノイヌツゲ(赤実の犬柘植)が実を付けていた。黒い実を付けるイヌツゲもあるという。果実は食用にならないが、動物は食べるらしい。
461峰の頂上は、恵山の絶好の展望台。足元の火口原(賽の河原)も一望できる。
恵山を入れて、全体集合写真を撮る(一人足りないようだが…はて?)。
461峰を後にして、八幡川コースを下がる。前方に、戦後に建設された米軍レーダー監視所と関連建物の跡地が見える。
ハナヒリノキ(嚏の木)の紅葉。ハナヒリとはクシャミの意味で、葉の臭いがクシャミを誘うことから。
米軍レーダー監視所の跡地。長方形のコンクリート基礎と土台柱が残っている。この傍にある、庁舎または宿舎が建っていたと思われるコンクリート平面(2面)で、35分間のランチタイムとする。
サンドイッチに挟んだジャムの香りに誘われたか、クロスズメバチが寄ってきた。土の中に営巣し(地蜂と呼ばれる)、スズメバチ科の中ではおとなしく毒も強くないが、刺激を加えると攻撃されることもあるため、手で追い払わずにやり過ごす。
食後、賽の河原に向かって八幡川コースを下がっていく。椴法華漁港の沖に、回遊魚を捕獲する大謀網(だいぼうあみ)が設置されている。函館市東北部の旧南茅部町では、天保10年(西暦1839年)から北海道で最初にこの漁法を始めたという。尾札部町地区の黒鷲岬には、大謀網漁業の発祥の地であることを示す石碑が建っている。
ちなみに、1ヶ統の定置網を敷設する費用は3億円、大規模なものになると5~7億円かかると言う。
この前後で見かけた花。[左上]エゾヒメクワガタ(蝦夷姫鍬形)の花は直径約1cm、[右上]エゾオヤマリンドウ(蝦夷御山竜胆)の花が終わりに近づくと初雪はもうすぐ、[左下]エゾイソツツジの二度咲き、[右下]清楚なノコンギク(野紺菊)。
正面に恵山が近づき、八幡川コースの下りも間もなく終わる。
恵山の上部に立つ奇岩峰をズームアップで。
海向山を眺めながら、賽の河原を火口原駐車場に向かう。
駐車場の手前で、石仏が迎えてくれた。
所要時間3時間5分(食事時間を含む)のハイクで、紅葉と植物観察、好展望など、晩秋の半日をゆったりと楽しんだ。マイナーな存在の461峰の頂上を初めて踏んだメンバーもいて、短時間ながら内容の濃い行程であった。
2024年10月24日
10月20日(日) 海向山
海向山(569.4m)は恵山(617.6m)火山の外輪山では、標高が最も高い。当会では毎年、秋から初冬にかけて、「八幡川コース」や「高原コース」を利用して登っている。今回は最も短い火口原駐車場発着の「賽の河原コース」を利用して、紅葉と展望を楽しんだ。参加は13名。
「道南自然に親しむ会」主催の海向山登山会の参加者など、多くの車が停まる火口原駐車場を9時6分に出発。右前方に海向山と456峰、正面に410峰を眺めながら、ススキの原を行く。この頃は北西の風がやや強く、肌寒かった。
高原コースが上がってくるC300草原も、秋の気配が漂っていた。
出発から20分ほどで左右コースの分岐に到着し、衣服調整などで休憩。
2022年9月12日、この場所でメンバー2人が蜂(ケブカスズメバチか)に刺された。道の脇に立つミズナラの根元近くのウロに巣があった模様。今回は活動期を過ぎたか、蜂は見かけなかった。
分岐から左コース(時計回りコース)に入る。前衛の456峰まで、しばらくつづら折りのやや急な登りになる。
30分弱の登りで、456峰の尾根の一端に上がった。
456峰の頂上に到着。北西風は弱まり、体感気温も暖かくなった。左後方(東南東方向)に、噴煙を上げる恵山が望めた。
南西方向の下海岸をズームで撮る。一番奥に見えるのは、日浦岬に落ちる尾根の末端。
この前後で見られた植生4態。[左上]マスタケ、[右上]一部だけが紅葉した灌木、[左下]二度咲きしたエゾヤマツツジ(蝦夷山躑躅)の花、[右下]チャナメツムタケか。
456峰から標高差60mを下がったコルを歩く。ミズナラなどの広葉樹林内に晩秋の陽光が射し込んで、良い気分。
コルから標高差130mほどを左に斜上し、傾斜が緩んだC530付近で休憩。
青空に映える紅葉。
トウゲブキ(峠蕗)も、すっかり綿毛に様変わりしていた。
緩い登り道で、左を見上げているメンバー。視線の先には…。
ここにも青空に映える紅葉が。
右には、雲の影がパッチ状に落ちる津軽海峡と、航行する貨物船。
11時10分、頂上に到着。恒例の全体集合写真を撮る。
頂上の一角で、反時計回りで巡る「道南自然に親しむ会」一行の皆さんとすれ違った。
頂上のすぐ北面に、ナナカマド(七竈)の赤い実が…。背景は旧椴法華村沖合の太平洋。
頂上から亀田半島の山々を眺める。
北西方向の近くには、凛々しい三角形の通称・古部丸山(691.0m)。明治29年(西暦1896年)7月に北海道で最初の三角点が道南三座に設置され、その中でもこの山に設置されている一等三角点(点名:古部岳)が最も古い(選点日:同年7月4日)。残る二つの山は、大千軒岳(1071.9m、点名:千軒岳、選点日:同年7月18日)と八幡岳(664.6m、点名:八幡岳、選点日:同年7月23日)。
西北西方向には遠く、左に航空路監視レーダーのドーム(白い点)を載せた横津岳(1167m)と、手前に袴腰岳(1108.4m)が重なって見えた。
西方向には、手前に三枚岳と516峰、遠くには桂岳と当別丸山の姿も。
頂上から200m弱を東(反時計回りコースの上部)に進んだ草原斜面は見晴らしが良く、仲間内では「展望レストラン」と呼んでいる。目の前に恵山の荒々しい姿と、眼下に賽の河原、火口原駐車場を眺めながら、ランチタイムとする。
南には、津軽海峡を挟んで、下北半島の山並みが望めた。10月13日に青森県・梵珠山(こちらをクリック or タップ)から眺めた下北半島を、ちょうど反対側から眺めている。
「展望レストラン」を11時53分に出発。恵山には目を向けず足元に注意を払い、急傾斜のジグザグ道を慎重に下っていく。
ここでも青空に映える紅葉が美しい。
頂上から駐車場までに見られた植生など。[左上]頂上でドライフラワーになりつつあったヤマハハコ(山母子)の花、[右上]「展望レストラン」で見たカマキリ、[左下]広葉樹林内で目だったコウライテンナンショウ(高麗天南星)の赤い実、[右下]火口原駐車場の間近で見かけた二度咲きのエゾイソツツジ(蝦夷磯躑躅)の花。
最後も、青空に映えるナナカマド(七竈)の赤い実で締めくくり。
13時2分、恵山の火口壁を眺めながら、火口原駐車場に到着した。
前日に北海道を低気圧が通過して一時的に冬型の気圧配置になり、出発時は北西風がやや強く肌寒かったが、日中は風が弱まって暖かい陽射しに恵まれた。10月23日に二十四節気のひとつ「霜降(そうこう)」を控えた晩秋の一日、青空に映える紅葉やナナカマドの赤い実などを愛でながら、ゆったりと山歩きを楽しむことができた。
「道南自然に親しむ会」主催の海向山登山会の参加者など、多くの車が停まる火口原駐車場を9時6分に出発。右前方に海向山と456峰、正面に410峰を眺めながら、ススキの原を行く。この頃は北西の風がやや強く、肌寒かった。
高原コースが上がってくるC300草原も、秋の気配が漂っていた。
出発から20分ほどで左右コースの分岐に到着し、衣服調整などで休憩。
2022年9月12日、この場所でメンバー2人が蜂(ケブカスズメバチか)に刺された。道の脇に立つミズナラの根元近くのウロに巣があった模様。今回は活動期を過ぎたか、蜂は見かけなかった。
分岐から左コース(時計回りコース)に入る。前衛の456峰まで、しばらくつづら折りのやや急な登りになる。
30分弱の登りで、456峰の尾根の一端に上がった。
456峰の頂上に到着。北西風は弱まり、体感気温も暖かくなった。左後方(東南東方向)に、噴煙を上げる恵山が望めた。
南西方向の下海岸をズームで撮る。一番奥に見えるのは、日浦岬に落ちる尾根の末端。
この前後で見られた植生4態。[左上]マスタケ、[右上]一部だけが紅葉した灌木、[左下]二度咲きしたエゾヤマツツジ(蝦夷山躑躅)の花、[右下]チャナメツムタケか。
456峰から標高差60mを下がったコルを歩く。ミズナラなどの広葉樹林内に晩秋の陽光が射し込んで、良い気分。
コルから標高差130mほどを左に斜上し、傾斜が緩んだC530付近で休憩。
青空に映える紅葉。
トウゲブキ(峠蕗)も、すっかり綿毛に様変わりしていた。
緩い登り道で、左を見上げているメンバー。視線の先には…。
ここにも青空に映える紅葉が。
右には、雲の影がパッチ状に落ちる津軽海峡と、航行する貨物船。
11時10分、頂上に到着。恒例の全体集合写真を撮る。
頂上の一角で、反時計回りで巡る「道南自然に親しむ会」一行の皆さんとすれ違った。
頂上のすぐ北面に、ナナカマド(七竈)の赤い実が…。背景は旧椴法華村沖合の太平洋。
頂上から亀田半島の山々を眺める。
北西方向の近くには、凛々しい三角形の通称・古部丸山(691.0m)。明治29年(西暦1896年)7月に北海道で最初の三角点が道南三座に設置され、その中でもこの山に設置されている一等三角点(点名:古部岳)が最も古い(選点日:同年7月4日)。残る二つの山は、大千軒岳(1071.9m、点名:千軒岳、選点日:同年7月18日)と八幡岳(664.6m、点名:八幡岳、選点日:同年7月23日)。
西北西方向には遠く、左に航空路監視レーダーのドーム(白い点)を載せた横津岳(1167m)と、手前に袴腰岳(1108.4m)が重なって見えた。
西方向には、手前に三枚岳と516峰、遠くには桂岳と当別丸山の姿も。
頂上から200m弱を東(反時計回りコースの上部)に進んだ草原斜面は見晴らしが良く、仲間内では「展望レストラン」と呼んでいる。目の前に恵山の荒々しい姿と、眼下に賽の河原、火口原駐車場を眺めながら、ランチタイムとする。
南には、津軽海峡を挟んで、下北半島の山並みが望めた。10月13日に青森県・梵珠山(こちらをクリック or タップ)から眺めた下北半島を、ちょうど反対側から眺めている。
「展望レストラン」を11時53分に出発。恵山には目を向けず足元に注意を払い、急傾斜のジグザグ道を慎重に下っていく。
ここでも青空に映える紅葉が美しい。
頂上から駐車場までに見られた植生など。[左上]頂上でドライフラワーになりつつあったヤマハハコ(山母子)の花、[右上]「展望レストラン」で見たカマキリ、[左下]広葉樹林内で目だったコウライテンナンショウ(高麗天南星)の赤い実、[右下]火口原駐車場の間近で見かけた二度咲きのエゾイソツツジ(蝦夷磯躑躅)の花。
最後も、青空に映えるナナカマド(七竈)の赤い実で締めくくり。
13時2分、恵山の火口壁を眺めながら、火口原駐車場に到着した。
前日に北海道を低気圧が通過して一時的に冬型の気圧配置になり、出発時は北西風がやや強く肌寒かったが、日中は風が弱まって暖かい陽射しに恵まれた。10月23日に二十四節気のひとつ「霜降(そうこう)」を控えた晩秋の一日、青空に映える紅葉やナナカマドの赤い実などを愛でながら、ゆったりと山歩きを楽しむことができた。
2024年10月22日
10月13日(日) 梵珠山(東北ツアー:4/4)
「東北ツアー」最終の第4日目。青森港からフェリーで函館港に戻る前に、五所川原・青森市境に位置する梵珠山(ぼんじゅさん、468.3m)に立ち寄って、晴天のもと、のんびりハイクを楽しんだ。参加は12名。
梵珠山は飛鳥時代より信仰の山とされ、近くには鐘撞堂山とか大釈迦川など、仏教に関係の深い地名が残っている。梵珠という山名も釈迦三尊仏のうちの文殊菩薩の名から付いたと伝えられる。
一帯は「青森県民の森」として整備され、我らが函館山のように地域の人々からハイキングやキャンプの場として親しまれている。
また、地元の五所川原農林高等学校スキー部の部歌「シーハイルの歌」で「梵珠嶺(ぼんじゅね)」と歌われ、NHK人気番組「にっぽん百低山」でも取り上げられた(初回放送日:2023年9月27日)。
鰺ヶ沢町山奥の宿を7時に出発(早い時刻に朝食を出していただき、ありがとうございました)。国道101号線に出て一路東に向かう。走行した無料自動車道「浪岡五所川原道路」から、梵珠山の山容が見えた。
国道7号線と沢沿いの林道を通って、「青森県立自然ふれあいセンター」手前の第1駐車場に到着。
登山装備を整え、8時45分に「マンガンの道」登山口を出発した。昔、マンガン鉱石を運び出した道だそうで、コース沿いには、ブナ林のほか青森県木のヒバ林も分布している。
沢沿いの道を歩き始めるとすぐ、ブナの大樹の下を通る。
新しい木製の橋を渡る。
沢から山腹斜面を短いつづら折りで登り、ブナ林の尾根に上がる。陽の光を浴びて、少し黄色くなり始めた葉が美しい。
「マンガンの道」はよく整備され、指導標もしっかりしている。
尾根道の途中にある「陸奥湾展望所」で東方向が開け、陸奥湾と青森市街地、後背の山並みが見えた。山の形から、高森山と東岳と思われる。
この前後で見られた草木の実。[左上]ハイイヌガヤ(這犬榧)の果肉は赤茶色に熟すと食べられる(少しヤニっぽいが甘い)、[右上]ツルアリドオシ(蔓蟻通)の赤い実、[左下]トチバニンジン(栃葉人参)の実はこれから大きくなる(和名の由来は、葉がトチノキの葉に似ていることから)。[右下]ミズ(正式名:ウワバミソウ(蟒蛇草))は秋になると葉の元に赤く膨らんだ小豆のような色の実を付ける。実際は養分を貯えて肥大化した肉芽で、いわばミズの「むかご」。古くから保存食としても珍重されてきたという。
C300付近の「越口」まで、なだらかで気持ちの良い尾根道が続く。
「越口」からは、やや急な斜面を登る。
20分弱の登りで傾斜が緩むと、蔦が絡まる大木も立つ草原に到着した。「寺屋敷北広場」と呼ばれる場所で、四阿とトイレ(写真の右奥)が建つ。
この一角のどこかに、「釈迦の墓」があるという。
この前後で見られた実と花。[左上]野草の実(綿毛)が陽に光って美しい(背後は四阿の壁)、[右上]ツルリンドウ(蔓竜胆)の実、[左下]コウライテンナンショウ(高麗天南星)の実。[右下]オオノアザミ(大野薊)は本名がアオモリアザミ(青森薊)で青森県が基準産地だという。
「寺屋敷北広場」から梵珠山の頂上に向かう。青空に映えるブナの幹と葉。
たわわに実ったナナカマド(七竈)の赤い実も、青空と良くマッチする。
10時ちょうど、「寺屋敷北広場」から登り10分ほどで、梵珠山の頂上に到着した。三等三角点(点名も同じ梵珠山)が設置されている。山名標識を掲げて、全体集合写真に納まる。
山名標識の傍にブロック造りの小屋があって、石作りの「梵珠七観音」が安置されている(右のOsさんを入れて八観音…(^_^))。それぞれは明治時代、近郊の集落から寄進されたものだという。
観音様の表情に違いがある。4体だけで恐縮だが、下に載せてみた。左下の観音様の左ひじにカマキリがとまっている。
頂上などで見られた木の実4態。[左上]ツリバナ(吊花)の実、[右上]ガマズミ(莢蒾)の実、[左下]ツルウメモドキ(蔓梅擬)の実、[右下]下山道で見かけたクサギ(臭木)の実。
10時15分、頂上を後にする。北東方向の遠くに、下北半島の山々が霞んでいた。大尽山(おおづくしやま)の向こう側には、比叡山・高野山とともに日本三大霊場といわれる恐山(山名ではなく地域名)がある。
「寺屋敷北広場」へ戻る途中で、釈迦堂山の頂上(454m)を訪れた。頂上には「釈迦堂避難小屋」と、右に「釈迦三尊仏」の祠が建っていた。祠は明治時代、寺や仏像が破壊された「廃仏毀釈」から、地元の旧大釈迦村が復活させ、昭和52年(西暦1977年)に再建されたという。
祠の扉を開いて、中に安置された釈迦三尊仏を拝んだ。中央に座す白い顔の釈迦像は木製で、左右の文殊菩薩と普賢菩薩は明治時代の作らしい。
トイレが建つ「寺屋敷北広場」から、「寺屋敷南広場」を通って「サワグルミの道」を下がる。この道も信仰に支えられた参詣道で、湿った土地を好むサワグルミやトチノキなどの木が多い。
道の途中から少し入った「岩木山展望所」に寄り、2日前に登った岩木山(1624.6m)を眺める。雄大な裾野を広げる名山である。
下山で見かけた花と実。[左上]ユキザサ(雪笹、別名:アズキナ)の赤く透き通った実、[右上]「六角堂休憩所」前にあったサラシナショウマ(晒菜升麻)の花穂、[左下]ツクバネソウ(衝羽根草)の実、[右下]地面にトチノキ(栃の木)の実がたくさん落ちていた。
「サワグルミの道」の脇に立っていた、威厳あるブナの大樹。
「サワグルミの道」登山口に到着。仏教色が強い一帯なのに、鳥居が立っていた。「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」の現れであろう。
「サワグルミの道」登山口から林道を400mほど上流側に歩き、駐車場には11時35分に到着。陽だまりの中、銘々が車外でくつろぎながら昼食をとった。
駐車場は親子連れなど、地元の方々の車で賑わっていた。
駐車場を出発し、JR新青森駅で買い物を済ませて青森港フェリーターミナルに移動。函館港に渡った。
フェリーから津軽半島を振り返る。ツアー期間の前半はまずまず、後半は絶好の日和に恵まれ、無事に行程を終えることができた。それを祝ってくれるかのような夕景であった。
当会で3泊4日行程のツアーは、2016年8月の道東ツアー(羅臼岳と斜里岳)以来、久し振りでした。計画作成の段階で、宿の確保(三連休を含む行楽期のため、多くの宿が数か月や1年前から予約で満杯)には会員Onさんに手間をお掛けしました。また、Bmさん、Osさん、Srさんには無理を頼んで車を出してもらいました。参加されたメンバー各位の協力(会計担当、各車連絡担当など)とチームワークによって、思い出深いツアーになったと思います。また、各宿の暖かいサポートもありました。関係された皆さまに、大いに感謝致します。(「東北ツアー」の紹介は、これで終わります。)
梵珠山は飛鳥時代より信仰の山とされ、近くには鐘撞堂山とか大釈迦川など、仏教に関係の深い地名が残っている。梵珠という山名も釈迦三尊仏のうちの文殊菩薩の名から付いたと伝えられる。
一帯は「青森県民の森」として整備され、我らが函館山のように地域の人々からハイキングやキャンプの場として親しまれている。
また、地元の五所川原農林高等学校スキー部の部歌「シーハイルの歌」で「梵珠嶺(ぼんじゅね)」と歌われ、NHK人気番組「にっぽん百低山」でも取り上げられた(初回放送日:2023年9月27日)。
鰺ヶ沢町山奥の宿を7時に出発(早い時刻に朝食を出していただき、ありがとうございました)。国道101号線に出て一路東に向かう。走行した無料自動車道「浪岡五所川原道路」から、梵珠山の山容が見えた。
国道7号線と沢沿いの林道を通って、「青森県立自然ふれあいセンター」手前の第1駐車場に到着。
登山装備を整え、8時45分に「マンガンの道」登山口を出発した。昔、マンガン鉱石を運び出した道だそうで、コース沿いには、ブナ林のほか青森県木のヒバ林も分布している。
沢沿いの道を歩き始めるとすぐ、ブナの大樹の下を通る。
新しい木製の橋を渡る。
沢から山腹斜面を短いつづら折りで登り、ブナ林の尾根に上がる。陽の光を浴びて、少し黄色くなり始めた葉が美しい。
「マンガンの道」はよく整備され、指導標もしっかりしている。
尾根道の途中にある「陸奥湾展望所」で東方向が開け、陸奥湾と青森市街地、後背の山並みが見えた。山の形から、高森山と東岳と思われる。
この前後で見られた草木の実。[左上]ハイイヌガヤ(這犬榧)の果肉は赤茶色に熟すと食べられる(少しヤニっぽいが甘い)、[右上]ツルアリドオシ(蔓蟻通)の赤い実、[左下]トチバニンジン(栃葉人参)の実はこれから大きくなる(和名の由来は、葉がトチノキの葉に似ていることから)。[右下]ミズ(正式名:ウワバミソウ(蟒蛇草))は秋になると葉の元に赤く膨らんだ小豆のような色の実を付ける。実際は養分を貯えて肥大化した肉芽で、いわばミズの「むかご」。古くから保存食としても珍重されてきたという。
C300付近の「越口」まで、なだらかで気持ちの良い尾根道が続く。
「越口」からは、やや急な斜面を登る。
20分弱の登りで傾斜が緩むと、蔦が絡まる大木も立つ草原に到着した。「寺屋敷北広場」と呼ばれる場所で、四阿とトイレ(写真の右奥)が建つ。
この一角のどこかに、「釈迦の墓」があるという。
この前後で見られた実と花。[左上]野草の実(綿毛)が陽に光って美しい(背後は四阿の壁)、[右上]ツルリンドウ(蔓竜胆)の実、[左下]コウライテンナンショウ(高麗天南星)の実。[右下]オオノアザミ(大野薊)は本名がアオモリアザミ(青森薊)で青森県が基準産地だという。
「寺屋敷北広場」から梵珠山の頂上に向かう。青空に映えるブナの幹と葉。
たわわに実ったナナカマド(七竈)の赤い実も、青空と良くマッチする。
10時ちょうど、「寺屋敷北広場」から登り10分ほどで、梵珠山の頂上に到着した。三等三角点(点名も同じ梵珠山)が設置されている。山名標識を掲げて、全体集合写真に納まる。
山名標識の傍にブロック造りの小屋があって、石作りの「梵珠七観音」が安置されている(右のOsさんを入れて八観音…(^_^))。それぞれは明治時代、近郊の集落から寄進されたものだという。
観音様の表情に違いがある。4体だけで恐縮だが、下に載せてみた。左下の観音様の左ひじにカマキリがとまっている。
頂上などで見られた木の実4態。[左上]ツリバナ(吊花)の実、[右上]ガマズミ(莢蒾)の実、[左下]ツルウメモドキ(蔓梅擬)の実、[右下]下山道で見かけたクサギ(臭木)の実。
10時15分、頂上を後にする。北東方向の遠くに、下北半島の山々が霞んでいた。大尽山(おおづくしやま)の向こう側には、比叡山・高野山とともに日本三大霊場といわれる恐山(山名ではなく地域名)がある。
「寺屋敷北広場」へ戻る途中で、釈迦堂山の頂上(454m)を訪れた。頂上には「釈迦堂避難小屋」と、右に「釈迦三尊仏」の祠が建っていた。祠は明治時代、寺や仏像が破壊された「廃仏毀釈」から、地元の旧大釈迦村が復活させ、昭和52年(西暦1977年)に再建されたという。
祠の扉を開いて、中に安置された釈迦三尊仏を拝んだ。中央に座す白い顔の釈迦像は木製で、左右の文殊菩薩と普賢菩薩は明治時代の作らしい。
トイレが建つ「寺屋敷北広場」から、「寺屋敷南広場」を通って「サワグルミの道」を下がる。この道も信仰に支えられた参詣道で、湿った土地を好むサワグルミやトチノキなどの木が多い。
道の途中から少し入った「岩木山展望所」に寄り、2日前に登った岩木山(1624.6m)を眺める。雄大な裾野を広げる名山である。
下山で見かけた花と実。[左上]ユキザサ(雪笹、別名:アズキナ)の赤く透き通った実、[右上]「六角堂休憩所」前にあったサラシナショウマ(晒菜升麻)の花穂、[左下]ツクバネソウ(衝羽根草)の実、[右下]地面にトチノキ(栃の木)の実がたくさん落ちていた。
「サワグルミの道」の脇に立っていた、威厳あるブナの大樹。
「サワグルミの道」登山口に到着。仏教色が強い一帯なのに、鳥居が立っていた。「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」の現れであろう。
「サワグルミの道」登山口から林道を400mほど上流側に歩き、駐車場には11時35分に到着。陽だまりの中、銘々が車外でくつろぎながら昼食をとった。
駐車場は親子連れなど、地元の方々の車で賑わっていた。
駐車場を出発し、JR新青森駅で買い物を済ませて青森港フェリーターミナルに移動。函館港に渡った。
フェリーから津軽半島を振り返る。ツアー期間の前半はまずまず、後半は絶好の日和に恵まれ、無事に行程を終えることができた。それを祝ってくれるかのような夕景であった。
当会で3泊4日行程のツアーは、2016年8月の道東ツアー(羅臼岳と斜里岳)以来、久し振りでした。計画作成の段階で、宿の確保(三連休を含む行楽期のため、多くの宿が数か月や1年前から予約で満杯)には会員Onさんに手間をお掛けしました。また、Bmさん、Osさん、Srさんには無理を頼んで車を出してもらいました。参加されたメンバー各位の協力(会計担当、各車連絡担当など)とチームワークによって、思い出深いツアーになったと思います。また、各宿の暖かいサポートもありました。関係された皆さまに、大いに感謝致します。(「東北ツアー」の紹介は、これで終わります。)
2024年10月19日
10月12日(土) 白神岳と十二湖散策(東北ツアー:3/4)
「東北ツアー」第3日目は、白神山地の主峰・白神岳(1232.4m)を蟶山(まてやま)コース利用で登る組(9名)と十二湖を散策する組(3名)に分かれて行動した。
白神山地は、1993年(平成5年)12月に世界遺産(自然遺産)に登録された。白神岳の北に位置する大峰岳(1020m)から白神岳を経て南の青森・秋田県境861峰を結ぶ主稜線が、世界自然遺産A地域・B地域の西縁になっている。
十二湖は白神山地の西側に位置して、津軽国定公園と自然休養林に指定されており、整備された歩道を辿って様々な散策コースが楽しめる。
【白神岳登山組の様子】
深浦町のペンションを5時30分に出発し、国道101号線と日野林道を走行して白神岳登山口下駐車場(C185)に6時10分到着。土曜日で天気が良いため、すでに30台近くが駐車していた。車内で朝食の大きなお握り弁当をいただいてから、出発の準備を整える。
写真の高台にある建物は、休憩所とトイレ。
駐車場を6時40分に出発。駐車場入り口のすぐ先に車止めがある林道へショートカットで上がり、6~7分歩いて小さな三角小屋内で入山記帳を済ませると、この先から山道になる。
登山口から30分ほど歩いたところのブナ林の様子。
前後で見られた植生は、[左上]ツリバナ(吊花)の弾けた実、[右上]試験管ブラシのようなサラシナショウマ(晒菜升麻)の花穂、[左下]モミジガサ(紅葉笠・紅葉傘)の控えめな花、[右下]コウライテンナンショウ(高麗天南星)の実。
オクトリカブト(奥鳥兜)の花。全草に有毒なアコニチン系アルカロイドを含む。トリカブトによる中毒は、重篤になりやすいという。
カエンタケ(火炎茸・火焔茸)への注意を喚起する看板が2か所に掲げられていた。このキノコは毒性が強く、誤って食べると発熱や悪寒、おう吐それに下痢や腹痛などの症状が出て、場合によっては死に至る可能性もあり、触れただけでも皮膚に炎症等を起こす。全国的にこのキノコの確認事例が増加しており、街中の公園などで発見されたとの報告もあるという。
登山口下駐車場から55分で二股コースの分岐点に到着して休憩した。休んでいた年配グループ5名のカメラシャッターを押したりして交歓。このあと、斜面を上がる蟶山コ-スに入る。
蟶山コースに入って暫くは、ブナ林内の緩い登りが続く。木の階段が壊れている所は慎重に…。
小さな沢地形を渡る所にはブナ林内らしく水が流れたり湧き出したりして、水飲み場になっている。最後の水場を過ぎてしばらく行くと、蟶山分岐に向かう急登が待ち構えている。
ブナの倒木に生じたキノコ。食べられるのかな。
蟶山分岐への登りはかなり急なので、落石に注意しながらゆっくりと足を上げる。
胸突き八丁を登りきると、このコースのほぼ中間にあたる蟶山分岐に到着。ここから蟶山(まてやま、841.5m、三等三角点、点名も同じ)を往復することができるが、行き帰りとも立ち寄らなかった。ここから頂上まで、ほぼ1kmごとにこの標識が立っていて、程よい休憩ポイントになっていた。
ちなみに、「蟶」という漢字は、海にいる細長い筒状の殻を持つマテ貝に充てられる。しかし、この山に「蟶」と付けられた理由は分からないと聞く。山の形がマテ貝に似ているからか。
蟶山分岐からは、緩い尾根道が続く。陽の光を受けて、黄葉の中を進む。
前後で見られた植生は、[左上]ユキザサ(雪笹、別名:アズキナ)の赤く透き通った実、[右上]岩木山でも見かけたヒメモチ(姫黐)の実、[左下]ナナカマド(七竈)の実、[右下]オヤマリンドウ(御山竜胆)の花。
二回目の胸突き八丁も登り切り、主稜線の大峰分岐が近づいてきた。
大峰分岐の手前で日本海方面を振り返る。左に蟶山、右は深浦町の海岸で、手前の小さな岬は森山海岸(「象岩」がある)、奥の日本海に突き出た半島(艫作埼:へなしざき)には艫作埼灯台や海辺の露天風呂で有名な黄金崎不老ふ死温泉がある。
主稜線の大峰分岐に到着。右の白神岳頂上まで、小さなアップダウンを繰り返して、あと700m。
頂上手前にあるトイレの三角屋根が見えた。あと少しだと、俄然元気になる。
進行方向左側(東方向)の山々は、ほとんどが世界自然遺産地域内にあり、広大なブナ林が広がっている。
頂上トイレ少し手前の登山道脇に、白神大権現の祠と講中石が鎮座していた。
11時30分、白神岳の頂上に立った。すぐ近くに、三角屋根の白神岳避難小屋(右)とトイレ(左)が建っている。
北東に見える、前日登頂の岩木山(1624.6m)をズームアップ。2日連続登頂の余韻に浸る。
南には、秋田県の男鹿半島も見えていた。
頂上で、遠くに岩木山を入れて、全体集合写真をとる。天気良し、眺め良し、メンバー良し。
12時5分、下山を開始。大峰分岐から蟶山に向かって下っていく。
下山途中で見かけた古い道標。書いてある文字は読めないが、年代を感じる。
ブナの大樹を過ぎると、ゴールは近い。どこからか、クマゲラのドラミングが聞こえていた。
通行が止められた林道からショートカットの短い山道と階段を下がり、15時35分に白神岳登山口下駐車場へ降り立った。
山の装備を解いて車に分乗し、十二湖散策組が待つ黄金崎不老ふ死温泉へ向かった。
【十二湖散策組の様子】
深浦町のペンションでゆっくりと朝食を頂いた。しっかりした正統派の和食。
ペンションの方に黄金崎不老ふ死温泉まで送っていただき、ここを始発とする奥十二湖行きの路線バスに乗車。9時35分、奥十二湖に着いた。
「レストランでお昼も素敵だけれど、見たいところを廻ろう」「時間があったらお茶しよう」とまとまり、あちこちの池を巡った。写真は湧壺の池(わきつぼのいけ)。
この池は日本名水百選で透明度の高い水質を誇り、青池と並んで非常に美しい(青池より青いかも…)。湧き水が流れ込んでいるため、一年を通して凍ることはない。
日本キャニオンを眺めながら、ランチタイムとする。展望ポイントから、浸食によって露出した凝灰岩の白い岩肌が特徴の断崖と、左に崩山(940.2m、三等三角点、点名も同じ)、右の樹木の陰は白神岳方面。
散策道で見かけた土留めは、カーテンのような、地層のような、アートっぽい仕様であった。
池の廻りを歩けると思ったところは、崩れて通行できず残念。戻ろうとしたら、ヒョコっとバス通りの道に出た。日本キャニオン入り口のカフェ&蕎麦屋で、八景の池を眺めながらゆっくりコーヒータイム。辿ったコースは、写真のマップのとおり。
15時発の路線バスで不老ふ死温泉へ戻り、白神岳登山組の迎えを待った。
【合流して宿へ】
12名が揃って、鰺ヶ沢町の山奥にある宿に向かって移動した。深浦町のコンビニで今夜の祝杯用缶ビールを買い、日本海に落ちる夕陽を眺めながら国道101号線を走る。
赤石川に沿う県道190号線、191号線を通って海岸から14kmほど山奥に入り、すっかり暗くなったころに無事投宿することができた。温泉に浸かってさっぱりしたあとの夕食は、山の幸づくし。
宿の玄関ホール兼食堂に、2020年4月に79歳で亡くなった小説家、随筆家、環境保護活動家のC.W.(クライヴ・ウィリアム)ニコルさんが、1996年7月に宿泊された時の寄せ書きが飾ってあった。
翌日は函館に帰る前、青森県民の森にある梵珠山(468.3m)に立ち寄る。梵珠山は、五所川原農林高等学校スキー部の部歌「シーハイルの歌」で、「梵珠嶺(ぼんじゅね)」と歌われる。宿で食後、楽譜付き歌詞のコピーを配って、全員で歌った。初めて聞いた、歌ったというメンバーもいて、びっくり。(続く)。
白神山地は、1993年(平成5年)12月に世界遺産(自然遺産)に登録された。白神岳の北に位置する大峰岳(1020m)から白神岳を経て南の青森・秋田県境861峰を結ぶ主稜線が、世界自然遺産A地域・B地域の西縁になっている。
十二湖は白神山地の西側に位置して、津軽国定公園と自然休養林に指定されており、整備された歩道を辿って様々な散策コースが楽しめる。
【白神岳登山組の様子】
深浦町のペンションを5時30分に出発し、国道101号線と日野林道を走行して白神岳登山口下駐車場(C185)に6時10分到着。土曜日で天気が良いため、すでに30台近くが駐車していた。車内で朝食の大きなお握り弁当をいただいてから、出発の準備を整える。
写真の高台にある建物は、休憩所とトイレ。
駐車場を6時40分に出発。駐車場入り口のすぐ先に車止めがある林道へショートカットで上がり、6~7分歩いて小さな三角小屋内で入山記帳を済ませると、この先から山道になる。
登山口から30分ほど歩いたところのブナ林の様子。
前後で見られた植生は、[左上]ツリバナ(吊花)の弾けた実、[右上]試験管ブラシのようなサラシナショウマ(晒菜升麻)の花穂、[左下]モミジガサ(紅葉笠・紅葉傘)の控えめな花、[右下]コウライテンナンショウ(高麗天南星)の実。
オクトリカブト(奥鳥兜)の花。全草に有毒なアコニチン系アルカロイドを含む。トリカブトによる中毒は、重篤になりやすいという。
カエンタケ(火炎茸・火焔茸)への注意を喚起する看板が2か所に掲げられていた。このキノコは毒性が強く、誤って食べると発熱や悪寒、おう吐それに下痢や腹痛などの症状が出て、場合によっては死に至る可能性もあり、触れただけでも皮膚に炎症等を起こす。全国的にこのキノコの確認事例が増加しており、街中の公園などで発見されたとの報告もあるという。
登山口下駐車場から55分で二股コースの分岐点に到着して休憩した。休んでいた年配グループ5名のカメラシャッターを押したりして交歓。このあと、斜面を上がる蟶山コ-スに入る。
蟶山コースに入って暫くは、ブナ林内の緩い登りが続く。木の階段が壊れている所は慎重に…。
小さな沢地形を渡る所にはブナ林内らしく水が流れたり湧き出したりして、水飲み場になっている。最後の水場を過ぎてしばらく行くと、蟶山分岐に向かう急登が待ち構えている。
ブナの倒木に生じたキノコ。食べられるのかな。
蟶山分岐への登りはかなり急なので、落石に注意しながらゆっくりと足を上げる。
胸突き八丁を登りきると、このコースのほぼ中間にあたる蟶山分岐に到着。ここから蟶山(まてやま、841.5m、三等三角点、点名も同じ)を往復することができるが、行き帰りとも立ち寄らなかった。ここから頂上まで、ほぼ1kmごとにこの標識が立っていて、程よい休憩ポイントになっていた。
ちなみに、「蟶」という漢字は、海にいる細長い筒状の殻を持つマテ貝に充てられる。しかし、この山に「蟶」と付けられた理由は分からないと聞く。山の形がマテ貝に似ているからか。
蟶山分岐からは、緩い尾根道が続く。陽の光を受けて、黄葉の中を進む。
前後で見られた植生は、[左上]ユキザサ(雪笹、別名:アズキナ)の赤く透き通った実、[右上]岩木山でも見かけたヒメモチ(姫黐)の実、[左下]ナナカマド(七竈)の実、[右下]オヤマリンドウ(御山竜胆)の花。
二回目の胸突き八丁も登り切り、主稜線の大峰分岐が近づいてきた。
大峰分岐の手前で日本海方面を振り返る。左に蟶山、右は深浦町の海岸で、手前の小さな岬は森山海岸(「象岩」がある)、奥の日本海に突き出た半島(艫作埼:へなしざき)には艫作埼灯台や海辺の露天風呂で有名な黄金崎不老ふ死温泉がある。
主稜線の大峰分岐に到着。右の白神岳頂上まで、小さなアップダウンを繰り返して、あと700m。
頂上手前にあるトイレの三角屋根が見えた。あと少しだと、俄然元気になる。
進行方向左側(東方向)の山々は、ほとんどが世界自然遺産地域内にあり、広大なブナ林が広がっている。
頂上トイレ少し手前の登山道脇に、白神大権現の祠と講中石が鎮座していた。
11時30分、白神岳の頂上に立った。すぐ近くに、三角屋根の白神岳避難小屋(右)とトイレ(左)が建っている。
北東に見える、前日登頂の岩木山(1624.6m)をズームアップ。2日連続登頂の余韻に浸る。
南には、秋田県の男鹿半島も見えていた。
頂上で、遠くに岩木山を入れて、全体集合写真をとる。天気良し、眺め良し、メンバー良し。
12時5分、下山を開始。大峰分岐から蟶山に向かって下っていく。
下山途中で見かけた古い道標。書いてある文字は読めないが、年代を感じる。
ブナの大樹を過ぎると、ゴールは近い。どこからか、クマゲラのドラミングが聞こえていた。
通行が止められた林道からショートカットの短い山道と階段を下がり、15時35分に白神岳登山口下駐車場へ降り立った。
山の装備を解いて車に分乗し、十二湖散策組が待つ黄金崎不老ふ死温泉へ向かった。
【十二湖散策組の様子】
深浦町のペンションでゆっくりと朝食を頂いた。しっかりした正統派の和食。
ペンションの方に黄金崎不老ふ死温泉まで送っていただき、ここを始発とする奥十二湖行きの路線バスに乗車。9時35分、奥十二湖に着いた。
「レストランでお昼も素敵だけれど、見たいところを廻ろう」「時間があったらお茶しよう」とまとまり、あちこちの池を巡った。写真は湧壺の池(わきつぼのいけ)。
この池は日本名水百選で透明度の高い水質を誇り、青池と並んで非常に美しい(青池より青いかも…)。湧き水が流れ込んでいるため、一年を通して凍ることはない。
日本キャニオンを眺めながら、ランチタイムとする。展望ポイントから、浸食によって露出した凝灰岩の白い岩肌が特徴の断崖と、左に崩山(940.2m、三等三角点、点名も同じ)、右の樹木の陰は白神岳方面。
散策道で見かけた土留めは、カーテンのような、地層のような、アートっぽい仕様であった。
池の廻りを歩けると思ったところは、崩れて通行できず残念。戻ろうとしたら、ヒョコっとバス通りの道に出た。日本キャニオン入り口のカフェ&蕎麦屋で、八景の池を眺めながらゆっくりコーヒータイム。辿ったコースは、写真のマップのとおり。
15時発の路線バスで不老ふ死温泉へ戻り、白神岳登山組の迎えを待った。
【合流して宿へ】
12名が揃って、鰺ヶ沢町の山奥にある宿に向かって移動した。深浦町のコンビニで今夜の祝杯用缶ビールを買い、日本海に落ちる夕陽を眺めながら国道101号線を走る。
赤石川に沿う県道190号線、191号線を通って海岸から14kmほど山奥に入り、すっかり暗くなったころに無事投宿することができた。温泉に浸かってさっぱりしたあとの夕食は、山の幸づくし。
宿の玄関ホール兼食堂に、2020年4月に79歳で亡くなった小説家、随筆家、環境保護活動家のC.W.(クライヴ・ウィリアム)ニコルさんが、1996年7月に宿泊された時の寄せ書きが飾ってあった。
翌日は函館に帰る前、青森県民の森にある梵珠山(468.3m)に立ち寄る。梵珠山は、五所川原農林高等学校スキー部の部歌「シーハイルの歌」で、「梵珠嶺(ぼんじゅね)」と歌われる。宿で食後、楽譜付き歌詞のコピーを配って、全員で歌った。初めて聞いた、歌ったというメンバーもいて、びっくり。(続く)。
2024年10月17日
10月11日(金) 岩木山(東北ツアー:2/4)
「東北ツアー」第2日目は、名峰・岩木山(1624.6m)を嶽コース利用で登った。岩木山は青森県の最高峰で、津軽地方の人々にとってかけがえのないシンボル。古くから山岳信仰の対象とされ、地元では「お岩木やま」とか「お岩木さま」と慣れ親しまれてきた。山容から「津軽富士」とも呼ばれる。参加は12名。
岩木山神社近くの貸別荘ロッジを車3台で出発。県道3号線を西に約8km走行して、嶽温泉郷駐車場に到着した。駐車場の北縁にある嶽稲荷神社の鳥居が、嶽コースの登山口になっている(C460)。
6時37分、鳥居を潜って登山を開始。すぐに神社社殿の脇を通った。
コースの始めは針葉樹(植林)もあったが、1時間ほど登ったところでは、すっかりブナ林になっていた。右から朝の光が射し込む。
登山道で見かけたもの。[左]蝉の抜け殻、[右上]多雪地帯のブナ林床に生育するヒメモチ(姫黐)の実、[右下]白いキノコ。
C1030付近の尾根を登る。陽に照らされたブナの黄葉が美しい。
C1200付近から、登ってきた嶽コース登山口近くにある常盤野上黒沢地区が俯瞰できた。
もうすぐ八合目というところで、九合目の少し上にある鳥海山(1502m)の一角が見えてきた。
9時18分、八合目バスターミナル(C1252)に到着して、暫く休憩する。
15分ほどの休憩をとって、行動を再開。頂上から西に伸びる尾根上にある西法寺森(1288m)の斜面は、笹などの緑と斑点状に色付いた黄が混在して、なかなか美しい。
九合目で右のリフト駅からの道が合流する。正面は鳥ノ海噴火口を取り囲む岩塊の群れ。
足元に、八合目バスターミナルと駐車場が見えた。
鳥ノ海噴火口北側の岩場を登る。
左下(西方向)には西法寺森から追子森に下がる尾根と赤沢斜面の黄葉。
鳥ノ海噴火口の北側に立つ奇岩峰。
左前方に、頂上が見えてきた。頂上手前に重なっている尖った岩峰は、「御倉石」と呼ばれる。
この前後で見かけた植生は、[左上]イワキンバイ(岩金梅)の花、[左下]草もみじ、[右]光るナナカマド(七竈)の実。
コンクリートブロックで作られた鳳鳴ヒュッテに到着。このヒュッテは1964年1月、秋田県立大館鳳鳴高等学校の山岳部生徒4名が猛吹雪のため亡くなった悲劇を繰り返さないため、冬季避難小屋として建てられた。その旨を記した銘板が、正面入口横の壁に付けられている。事故翌年の9月に建てられ、59年を経過しても、なお立派に役目を果たしている。
ちなみに、このヒュッテの前で、岩木山神社からの百沢(ひゃくざわ)登山コースが合流している。
ヒュッテを過ぎてからの急な登りは、「第一おみ坂」とも呼ばれる。落石に注意して、登り専用の右側の道を通行する。左上の特徴的な岩は「二神岩」。
急坂を20分弱登ると、わずかな平地に出る。目の前が頂上。「第二おみ坂」からツアー登山客が40名ほど下りてきたので、交差するまでしばし休憩。
11時20分、家族連れなどの登山者で賑わう頂上(一等三角点、点名も岩木山)に到着。「岩木山山頂」と書かれた、四角錐で鐘の付いた山頂標が入る記念写真撮影は順番待ち状態だったが、我が一行全員も何とか全体集合写真に納まった。
頂上はあいにく雲に覆われ、北東風は少し冷たく感じた。暖かくして、岩陰でゆっくりランチタイムとする。オオスズメバチが飛び回っていたので、「ハチが近づいても手で追い払わない」ことを、他の登山者にも伝えた。
すぐ傍の岩木山神社奥宮に参拝。豪雪に耐えられる頑丈な造りであった。
12時5分に下山開始。「第一おみ坂」を下がる途中で雲の下に出て、右側(北北西方向)に鯵ヶ沢町の海岸部と日本海が見えた。
鳥ノ海噴火口の中を覗き込む。この火口は、慶長5年(西暦1600年)の中規模水蒸気噴火で形成されたという。向かい側は、岩木山の姿である「山」の字の脇にあたる、鳥海山(最高点1502m)の一角。
九合目付近を下る。八合目に下がるリフト駅と、右下に麓の集落が見えてきた。
九合目から西方向の山並みの展望が得られた。遠くは深浦町にあって直線で21.4km離れた桝形山(一等三角点、点名:升形山)と22.9km先の飯森山(三等三角点、点名も同じ)、16.9km先の青鹿山(三等三角点、点名:青菅)が見えた。近くには、弘前市隣りの鯵ヶ沢町にあって11.5km離れた然ヶ岳(二等三角点、点名:倉ノ上)と706峰。
ちなみに、この日の宿は青鹿山の向こう側の海岸、翌日の宿は然ヶ岳のすぐ後ろの谷中にある。然ヶ岳(しかりがたけ)の「シカリ」とは、東北地方を中心とする山間部や山岳地帯で伝統的な方法を用いて集団で狩猟を行うマタギ(又鬼)の頭領を指す。翌日の宿も、先祖代々マタギの頭領の家系だという(ご主人が現役)。
同じく九合目から北方向に、つがる市の平野と風力発電所群、日本海が見えた。長い浜辺は「七里長浜」と呼ばれる。
九合目から頂上を振り仰ぐ。四角錐の山頂標が見えた。
九合目からリフトに乗って「大名下山」。13時20分、バスターミナルがある八合目に下りると、翌日に登る予定の白神岳(1232.4m、一等三角点、点名も白神岳)が見えた。頂部がわずかに雲に隠れているので、雲の底の高さは1200mほどか。
バスターミナルの前で、頂上を入れて全体集合写真を撮る。皆さん、満足な顔々…。
八合目から路線バスで岩木山スカイラインを下がり、嶽温泉郷で入浴。硫黄のにおいを車内にも持ち込み、今夜の宿がある深浦町まで、約64kmの道のりを車3台で慎重に行動した。
翌日の昼食などを購入するために立ち寄った深浦町の大型スーパーの前を走るJR五能線の線路近くから、日本海に沈む夕日を眺める。明日はもっと良い天気になりそうだ。
暗くなり始める17時15分、深浦漁港近くのペンションに無事投宿することができた。夕食時、この日の無事登頂を祝って乾杯!
夕食は海の幸づくしの料理が並び、ボリューム満点であった。数名が完食したとのこと。
翌日は蟶山(まてやま)コース利用で白神岳に登り、若干名は十二湖を散策する(続く)。
岩木山神社近くの貸別荘ロッジを車3台で出発。県道3号線を西に約8km走行して、嶽温泉郷駐車場に到着した。駐車場の北縁にある嶽稲荷神社の鳥居が、嶽コースの登山口になっている(C460)。
6時37分、鳥居を潜って登山を開始。すぐに神社社殿の脇を通った。
コースの始めは針葉樹(植林)もあったが、1時間ほど登ったところでは、すっかりブナ林になっていた。右から朝の光が射し込む。
登山道で見かけたもの。[左]蝉の抜け殻、[右上]多雪地帯のブナ林床に生育するヒメモチ(姫黐)の実、[右下]白いキノコ。
C1030付近の尾根を登る。陽に照らされたブナの黄葉が美しい。
C1200付近から、登ってきた嶽コース登山口近くにある常盤野上黒沢地区が俯瞰できた。
もうすぐ八合目というところで、九合目の少し上にある鳥海山(1502m)の一角が見えてきた。
9時18分、八合目バスターミナル(C1252)に到着して、暫く休憩する。
15分ほどの休憩をとって、行動を再開。頂上から西に伸びる尾根上にある西法寺森(1288m)の斜面は、笹などの緑と斑点状に色付いた黄が混在して、なかなか美しい。
九合目で右のリフト駅からの道が合流する。正面は鳥ノ海噴火口を取り囲む岩塊の群れ。
足元に、八合目バスターミナルと駐車場が見えた。
鳥ノ海噴火口北側の岩場を登る。
左下(西方向)には西法寺森から追子森に下がる尾根と赤沢斜面の黄葉。
鳥ノ海噴火口の北側に立つ奇岩峰。
左前方に、頂上が見えてきた。頂上手前に重なっている尖った岩峰は、「御倉石」と呼ばれる。
この前後で見かけた植生は、[左上]イワキンバイ(岩金梅)の花、[左下]草もみじ、[右]光るナナカマド(七竈)の実。
コンクリートブロックで作られた鳳鳴ヒュッテに到着。このヒュッテは1964年1月、秋田県立大館鳳鳴高等学校の山岳部生徒4名が猛吹雪のため亡くなった悲劇を繰り返さないため、冬季避難小屋として建てられた。その旨を記した銘板が、正面入口横の壁に付けられている。事故翌年の9月に建てられ、59年を経過しても、なお立派に役目を果たしている。
ちなみに、このヒュッテの前で、岩木山神社からの百沢(ひゃくざわ)登山コースが合流している。
ヒュッテを過ぎてからの急な登りは、「第一おみ坂」とも呼ばれる。落石に注意して、登り専用の右側の道を通行する。左上の特徴的な岩は「二神岩」。
急坂を20分弱登ると、わずかな平地に出る。目の前が頂上。「第二おみ坂」からツアー登山客が40名ほど下りてきたので、交差するまでしばし休憩。
11時20分、家族連れなどの登山者で賑わう頂上(一等三角点、点名も岩木山)に到着。「岩木山山頂」と書かれた、四角錐で鐘の付いた山頂標が入る記念写真撮影は順番待ち状態だったが、我が一行全員も何とか全体集合写真に納まった。
頂上はあいにく雲に覆われ、北東風は少し冷たく感じた。暖かくして、岩陰でゆっくりランチタイムとする。オオスズメバチが飛び回っていたので、「ハチが近づいても手で追い払わない」ことを、他の登山者にも伝えた。
すぐ傍の岩木山神社奥宮に参拝。豪雪に耐えられる頑丈な造りであった。
12時5分に下山開始。「第一おみ坂」を下がる途中で雲の下に出て、右側(北北西方向)に鯵ヶ沢町の海岸部と日本海が見えた。
鳥ノ海噴火口の中を覗き込む。この火口は、慶長5年(西暦1600年)の中規模水蒸気噴火で形成されたという。向かい側は、岩木山の姿である「山」の字の脇にあたる、鳥海山(最高点1502m)の一角。
九合目付近を下る。八合目に下がるリフト駅と、右下に麓の集落が見えてきた。
九合目から西方向の山並みの展望が得られた。遠くは深浦町にあって直線で21.4km離れた桝形山(一等三角点、点名:升形山)と22.9km先の飯森山(三等三角点、点名も同じ)、16.9km先の青鹿山(三等三角点、点名:青菅)が見えた。近くには、弘前市隣りの鯵ヶ沢町にあって11.5km離れた然ヶ岳(二等三角点、点名:倉ノ上)と706峰。
ちなみに、この日の宿は青鹿山の向こう側の海岸、翌日の宿は然ヶ岳のすぐ後ろの谷中にある。然ヶ岳(しかりがたけ)の「シカリ」とは、東北地方を中心とする山間部や山岳地帯で伝統的な方法を用いて集団で狩猟を行うマタギ(又鬼)の頭領を指す。翌日の宿も、先祖代々マタギの頭領の家系だという(ご主人が現役)。
同じく九合目から北方向に、つがる市の平野と風力発電所群、日本海が見えた。長い浜辺は「七里長浜」と呼ばれる。
九合目から頂上を振り仰ぐ。四角錐の山頂標が見えた。
九合目からリフトに乗って「大名下山」。13時20分、バスターミナルがある八合目に下りると、翌日に登る予定の白神岳(1232.4m、一等三角点、点名も白神岳)が見えた。頂部がわずかに雲に隠れているので、雲の底の高さは1200mほどか。
バスターミナルの前で、頂上を入れて全体集合写真を撮る。皆さん、満足な顔々…。
八合目から路線バスで岩木山スカイラインを下がり、嶽温泉郷で入浴。硫黄のにおいを車内にも持ち込み、今夜の宿がある深浦町まで、約64kmの道のりを車3台で慎重に行動した。
翌日の昼食などを購入するために立ち寄った深浦町の大型スーパーの前を走るJR五能線の線路近くから、日本海に沈む夕日を眺める。明日はもっと良い天気になりそうだ。
暗くなり始める17時15分、深浦漁港近くのペンションに無事投宿することができた。夕食時、この日の無事登頂を祝って乾杯!
夕食は海の幸づくしの料理が並び、ボリューム満点であった。数名が完食したとのこと。
翌日は蟶山(まてやま)コース利用で白神岳に登り、若干名は十二湖を散策する(続く)。
2024年10月16日
10月10日(木) 青森県暗門渓谷・ブナ林散策(東北ツアー:1/4)
当会恒例企画の「東北ツアー」として、今年は青森県津軽地方の山と渓谷を3泊4日で巡った。参加は12名。
第1日目は、世界自然遺産「白神山地」の範囲内にある暗門渓谷を訪れた。
函館港北埠頭から8時10分発のフェリーに乗り、青森港に12時10分到着。国道7号線と県道28号線を通って岩木川を上流に向かい、西目屋村の「アクアグリーンビレッジANMON」に到着した。
駐車場から水、行動食、ヘッドライトを持って暗門川に架かる県道の橋を戻り、14時40分に「暗門の滝」遊歩道(県道の脇)に入った。
ところが、少し先にある協力金受付所で、「14時30分までに受付をしないと、暗門の滝に向かうことは許可できない」と言われた。「暗門の滝」公式HPのどこにも書いてなかった事項だったので、驚いた(HPには「11月上旬~5月下旬は冬季閉鎖のため通行不可」とあるだけ)。通行可能な第3・第2の滝まで2時間弱で往復できるので、日没までには十分帰られると入渓許可を交渉したが、許可は下りなかった。
残念だが滝の見物は諦めて、ブナ林散策道を回ることにした。14時55分、聖観音の祠がある登り口から散策道を上がる。
林内の樹相はブナがほとんどで、トチノキ、ミズナラ、ウダイカンバ、ホオノキなどもあるという。黄葉には未だ早かった。
この日は曇り空であったが、このブナ林に陽の光が射したら、幹と葉のコントラストが、さぞや綺麗であろう。
散策路の途中にあるつづら折れの登り坂で、全体集合写真を撮る。カメラを向けられると、反射的にニッコリするが…。
ブナの林の中を、トボトボと歩く(心は「滝」に未練が…)。
朽ちたブナの倒木に生じた、何種類かのキノコ。
小さなせせらぎの清流。
東北地方を代表する山菜のミズ(正式名:ウワバミソウ(蟒蛇草))がたくさん自生していた。
散策道のルートマップ。右端の入り口から「小回り」「大回り」を辿ってきた。このあとは、左に「暗門渓谷ルート」の抜け道を進む。
ツルリンドウ(蔓竜胆)の赤い実。
この抜け道もブナ林の中。
暗門川の岸部まで下ると、ダイモンジソウ(大文字草)、ウメバチソウ(梅鉢草)の名残り花と実が見られた。実だの花だのを見ると、少し元気になった。
暗門川に架かる木橋で、右岸から左岸に渡る。
渡り終える直前で、上流の暗門の滝に向かう道をうらめしく眺める(ここを行きたかったな~)。
左岸を辿って、遊歩道の入り口に戻る。
途中、右岸の高い所から急な岩壁を流れ落ちる細い滝を見かけた。暗門「第4の滝」だと思って我慢する(第3、第2の滝は、水量が多くて迫力がある…)。
16時18分、ブナ林散策道の登り口に戻った。
「アクアグリーンビレッジANMON」の駐車場に戻る。
暗門大橋を渡り終えたところの橋台柱に、「竣工 昭和39年11月」と記したプレートがあった。東京で初めての夏季オリンピックが開かれた年(1964年)の翌月(オリンピックは10月10日~24日開催)にあたる。「あのオリンピックで何が印象に残っている?」と話していたメンバーは70代…。
県道28号線を戻り、西目屋村から弘前市に入ったところのコンビニ2軒で当夜と翌日朝・昼の食料を購入。コンビニの駐車場で夕陽に照らされた空が雲間から見え、翌日の天気が期待された。
すっかり暗くなったころ、岩木山神社近くの貸別荘ロッジ2棟に無事投宿することができた。
翌日のツアー2日目は、嶽コースから岩木山に登った(続く)。
第1日目は、世界自然遺産「白神山地」の範囲内にある暗門渓谷を訪れた。
函館港北埠頭から8時10分発のフェリーに乗り、青森港に12時10分到着。国道7号線と県道28号線を通って岩木川を上流に向かい、西目屋村の「アクアグリーンビレッジANMON」に到着した。
駐車場から水、行動食、ヘッドライトを持って暗門川に架かる県道の橋を戻り、14時40分に「暗門の滝」遊歩道(県道の脇)に入った。
ところが、少し先にある協力金受付所で、「14時30分までに受付をしないと、暗門の滝に向かうことは許可できない」と言われた。「暗門の滝」公式HPのどこにも書いてなかった事項だったので、驚いた(HPには「11月上旬~5月下旬は冬季閉鎖のため通行不可」とあるだけ)。通行可能な第3・第2の滝まで2時間弱で往復できるので、日没までには十分帰られると入渓許可を交渉したが、許可は下りなかった。
残念だが滝の見物は諦めて、ブナ林散策道を回ることにした。14時55分、聖観音の祠がある登り口から散策道を上がる。
林内の樹相はブナがほとんどで、トチノキ、ミズナラ、ウダイカンバ、ホオノキなどもあるという。黄葉には未だ早かった。
この日は曇り空であったが、このブナ林に陽の光が射したら、幹と葉のコントラストが、さぞや綺麗であろう。
散策路の途中にあるつづら折れの登り坂で、全体集合写真を撮る。カメラを向けられると、反射的にニッコリするが…。
ブナの林の中を、トボトボと歩く(心は「滝」に未練が…)。
朽ちたブナの倒木に生じた、何種類かのキノコ。
小さなせせらぎの清流。
東北地方を代表する山菜のミズ(正式名:ウワバミソウ(蟒蛇草))がたくさん自生していた。
散策道のルートマップ。右端の入り口から「小回り」「大回り」を辿ってきた。このあとは、左に「暗門渓谷ルート」の抜け道を進む。
ツルリンドウ(蔓竜胆)の赤い実。
この抜け道もブナ林の中。
暗門川の岸部まで下ると、ダイモンジソウ(大文字草)、ウメバチソウ(梅鉢草)の名残り花と実が見られた。実だの花だのを見ると、少し元気になった。
暗門川に架かる木橋で、右岸から左岸に渡る。
渡り終える直前で、上流の暗門の滝に向かう道をうらめしく眺める(ここを行きたかったな~)。
左岸を辿って、遊歩道の入り口に戻る。
途中、右岸の高い所から急な岩壁を流れ落ちる細い滝を見かけた。暗門「第4の滝」だと思って我慢する(第3、第2の滝は、水量が多くて迫力がある…)。
16時18分、ブナ林散策道の登り口に戻った。
「アクアグリーンビレッジANMON」の駐車場に戻る。
暗門大橋を渡り終えたところの橋台柱に、「竣工 昭和39年11月」と記したプレートがあった。東京で初めての夏季オリンピックが開かれた年(1964年)の翌月(オリンピックは10月10日~24日開催)にあたる。「あのオリンピックで何が印象に残っている?」と話していたメンバーは70代…。
県道28号線を戻り、西目屋村から弘前市に入ったところのコンビニ2軒で当夜と翌日朝・昼の食料を購入。コンビニの駐車場で夕陽に照らされた空が雲間から見え、翌日の天気が期待された。
すっかり暗くなったころ、岩木山神社近くの貸別荘ロッジ2棟に無事投宿することができた。
翌日のツアー2日目は、嶽コースから岩木山に登った(続く)。